またね
「またね」という別れの言葉がある。これから春が芽吹き始める。桃色のじゅうたんの上で、たくさんの「またね」が飛び交うのだろう。
「さよなら」だと寂しすぎるから、また会いたいと強く願うから、親しい人と交わされる、「またね」という約束。
僕たちは、この約束をどれだけ守ることが出来ただろうか。
そもそも、「またね」という言葉は何らかの気持ちの省略形である場合がほとんどだ。
「また眠れなくなったらお喋りしようね」、「またどうしようもなくバカみたいなことしようね」、「また夜の街を一緒に抜け出そうね」、「また思いっきり絶望しようね」……。
びっくり箱みたいな「またね」を沢山贈りたい。「またね」の蓋を開けてみたらこんなに沢山の気持ちが詰まっていただなんて、ってびっくりさせたいんだ。
一生蓋を開けられることなく、暗い箱の中で寂しそうな顔をする人形を、もうこれ以上増やしたくはない。
次は誰に「またね」をプレゼントしますか。
卒業前夜
今日は「卒業」を意識する一日だった。
母校は今日卒業式を迎えたという。私が直接知っている代はもう高校から完全にいなくなるという事実に頭がついていかないが、もうそこまで時間が経っているのだ。
なので卒業アルバムを開いてみたら、高校時代の日々が遙か遠くのことのように感じられて、それでも今でも友達に会えていることに、変わっていく日々を一緒に迎えられることに、言い知れぬ感動を覚えている。
そして、去年から挑んでいるキャッチコピーやCMの公募大会「宣伝会議賞」の授賞式も今日だった。こちらは高校を卒業してから、完全に大学に入ってから見つけた、自分が真剣に打ち込める、めちゃくちゃ楽しい大会だ。
この大会の存在を教えてくれた先輩も言っていたけど、皆が横並びの状態でヨーイドンするのがこの大会の魅力だ。経験もコネも関係ない。ひたすら自分が出す作品だけで勝負していき、たった数文字の限りなく力強い言葉が選ばれていく面白さに、私は虜になっている。
宣伝会議賞はゴールドと呼ばれる金賞やグランプリを一度でも取ったら、翌年以降は応募できなくなる。つまり宣伝会議賞から卒業することになる。
大好きなコピーを書くということから卒業するということは、学校と似てるなとふと思った。でも、コピーで留年するのは全然悲しくないしむしろ少しだけ嬉しいのかもしれない。
それでも、いつかは、卒業したいという大それたことを考えている。
卒業は、終わりではなく始まりの合図だ。
もう交わることのない世界が現れたこと、それは要らなくなったということではなく、もう、自分の中に完全に息づいたということなのかもしれない。
何も全てがなくなるわけではない。私たちの記憶や心は、ちゃんとすぐに時間をワープできるように出来ている。
あの日、クラスの友達が自分にかけてくれた言葉が今でも私を何度も救ってくれているのと同じように、卒業は、卒業によって切り離された過去がちゃんと輝き出すための、箔押しみたいな一瞬だ。
大好きだった、全ての一瞬に祝福を。
3月の色
熱海に行って、日本一早く咲くという梅の花を見てきた。河津桜も少し咲いていた。
陽の光が眩しくて画面がよく見えなくてボケているが気にしない。
今年は、なんだか春が少し早めに来たような気がする。嬉しくて仕方がない。
3月はなぜだかインフルエンザ発症率が高すぎることに定評がある(多分20年中5年は3月にインフル発症してる)私だが、今年はなんとか元気に乗り越えていきたいものだ。
今、いろんな3月を思い出している。
卒業式。泣くつもりなんか全然なかったのに泣いてしまった教壇から見た景色や、使い古した制服で最後の写真を撮ったときにふと包まれたような温もり、桜の音、黒板の匂い、チャイムの色。
新しい生活に向けて中途半端に時間があるから、自転車を漕いで近くのショッピングモールに併設されたカラオケに通っていた3月。今となってはすごく小さなお出かけだったけど、あの頃の俺たちには冒険だった。
引っ越して電車の行き先が一人だけ違って、みんなに背を向けて家に帰って、自分の部屋でパーカーを脱いだときにこぼれ落ちた桜の花びらの鮮やかさ。
またどうせ会うんだろうと思いながらも、それぞれの先に延びる道を見ている友たちの凛々しい目に、時間の流れを感じたり、無性に寂しくなったり。
とにかく、3月は寂しさのあり方がやさしい。日頃突然に訪れる理不尽や悲しみの刺々しさとは違って、ちゃんと、予告通りにやって来る3月の寂しさは、どこか春の風のような温もりを持っている。関係を清算するように見えて、より一層強めてくれるような一瞬の別れが、愛おしくて仕方がない。こうした別れがあるからこそ、日々を輝かせられるのかもしれないし、前を向けるのかもしれない。
新しいことを一つ覚えたら、あんなに大切だった日々をあっさり忘れてしまう。記憶と時間が有限だからこそ、3月が輝いているのだろう。
何が正しかったかなんて、今でも分からない。それでも、大切な誰かを傷つけたくないと歩んできた道はきっと、3月のような静かな光が照らしてくれているだろう。そう信じてまた新たな日々を見ていこうと思うのだ。
名前のない文章の断片
何を書いてあるかじゃなくて誰が書いたかでいつまでも判断している自分の浅ましさをだんだん受け入れられるようになってきた。
旅行記は自分が書きたいタイミングで書けばいいと思った。モンサンミッシェルの魅力を表すのには時間がかかりすぎる。
満点よりも30点を量産することにしていたが、最近満点を求める傾向が復活してきた。
言葉だけではどうしようもないこともあるとだんだん絶望できた。だからよりいっそう言葉への執着心が増えた。
自分は少しでも環境がズレていたらいじめられるような性格を持っていることを20歳にして実感し、つくづく周りに恵まれていたことを知った。
同時に、自分の代わりに怒ってくれる人にめちゃくちゃ甘えていることを実感した。
「知りたい」とちゃんと表明しながら他人に甘えられるような人になりたかった。自分一人で知ろうとするのをやめられればよかった。
同じように他人に対しての羨ましさをストレートに出してその人と付き合っていくような人が愛おしくて仕方ないと思った。
桜は相変わらず思い出をぶら下げすぎている。
といっても3月はやっぱり愛せずにいられない。
小説以外で、ただただ文章の美しさと強さだけで泣けたことがとても嬉しかった。
文体の相性の存在を再確認した。結局好きだなって人は俺の好きな文体で書く。
調子がいいときに文章を書いてきた傾向があるから、調子が悪いときに書いた文章がどんな鋭利さを持つのか確かめたくて断片的に書いてみたが、いつもと変わらないような気がした。
フローズン・カメレオン
多数決をとりますって言って、皆が目を伏せて挙手するやつ、あったと思う。でも結果を集計する人は、誰がどっちに手を挙げているか分かるわけで、僕は怖かった。自分一人だけが挙げていたらどうしようって怖かった。
学校の夏休みが終わった9月、「運動会のスローガンを決めたいと思います」と色黒の体育委員が言う。陽差しの差し込む黒板には、僕が出したスローガンが最終決戦として残されていた。
子ども時代に書いたものだから、今思い返すと「なんじゃそりゃ」と思えるような文句だったが、僕のスローガンはそれなりにキャッチーで皆の心を掴んだらしく、最終決戦まで残ってしまった。
さあ、目隠し多数決の出番だ。怖い。ここまで残ったのはいいけど、正直相手のスローガンはかなり素敵。キャッチーだし、何より力強さと爽やかさがある。俺のスローガンはインドア的な陰鬱さが滲み出ている気がする。俺が運動会というキラキライベントを標榜する文言を掲げて乱入していいものなのだろうか。異教徒として磔にされてしまうのでは?
しかしまあ、残ってしまったものは仕方ない。
俺だけ俺のスローガンに挙手して大敗したら惨めこの上ない。でも、ボケっとしていたら筋骨隆々の体育委員にしばかれてしまうので目を伏せるしかない。
順番的に僕のスローガンが先に投票される。体育委員が僕のスローガンを読み上げる。物音がしない。みんな忍びのように手をサイレントに挙げるのが上手いのか、それとも誰も挙げていないのか。怖い。こんなの僕も挙げられるわけないだろう。
続いて決戦相手のスローガンが読まれる。やっぱ物音がしない。みんな生きてる?顔を上げたら教室が血の海と化していた地獄絵図とか嫌だぜ。
僕は僕のスローガンに投票していないのだから相手のに投票するしかない。いやでもそれっておかしくねえか。生みの親が支持していないスローガンなんて不憫極まりないだろう。スローガンが泣くぞ。一体誰が僕のスローガンを全肯定してくれるって言うんだい。何のために生まれたんだって三日三晩泣きじゃくるぜ。
しかし、結局逡巡している内に投票時間は過ぎてしまった。
投票数を足してもクラス全員の数にならないことを訝しみながらも、体育委員は持ち前の豪傑さで投票を終わらした。選ばれたのは相手のスローガンだった。ふう危ねえ。僅差とは言えど、どっちにも入れなくてよかった。それでよかった。
周りの意見に流されないで自分の意思を表すためのあのシステムですら、僕は怖かった。匿名投票というスタンスなのかもしれないが、誰か僕の入れた票の行方を掌握できる体育委員という人間がいる以上、あれは断じて匿名投票ではない。紙に書くシステムでも俺は字が上手かったから筆跡でバレてしまうし。今、小中学校教育でもタブレットが導入されることが検討されているようだが、まず真っ先にああいった類の投票の際にタブレットを使うべきだと思う。
先日初めてスキーをやった。いやいきなり話題変わるやんって思うかもしれないけど聞いてくれ。
最初はスキー板を履くのもままならなくて、何回も何回も転んだ。雪だるまに転生しそうなごとく転んだ。
一緒に行ったスキーのうまいイケメンな後輩が根気強く教えてくれたおかげで、スキーの魅力的な爽快感を味わえるくらいには上達した。顔面が痛いくらい滑れるようになった。
山頂から滑り降りているときに誰も居ないところで一人で転んだ。雪が舞い降りてくる灰色の空を仰ぎながら、ああ、このまましばらく寝転がっていてもいいかな、なんて思った。こうしてると先輩が戻ってこない!って騒ぎになってニュースになって捜索隊が出動して冷凍保存された俺が発見されてしまうから、自力で滑り降りてかないといけないんだけど。
大自然の雪の中では、自分がちっぽけな存在だと思うと同時に、どんな自分でも、確実に「そこ」にいるのが浮き出るように見えてくるんだと分かった。汚れのない純白の中に、一人寝転んでいると本来の自分の「色」が見えてきたようで、不思議な感覚だった。雪に嘘はつけないみたいだ。
「雪に嘘はつけないみたいだ。」いいねえ、いいコピー。来年のJR SKISKIに大抜擢だな。
周りの色に合わせて自分の色を変えていくカメレオンのような僕は、自分の本当の「色」を知らなかった。あの日、サウナのような狭い教室で埋もれてしまった「色」は、水風呂のような雪空の中で息を吹き返した。
何回転んでも、出来るようになったスキーは楽しかった。転んでも自分のちっぽけさを知るだけで、そこに悔しさも恥ずかしさもない。雪は全てを許してくれる。いいキャッチコピーだなあ。来年のJ、
体育の授業が嫌いだった。
特にバレーとムカデ競争が嫌いだった。誰のミスなのか明確に分かるから。なんなんだあれは。罰ゲームか。バレーとか俺にボールが飛んでくる瞬間、流れ星を観測するかのように視線が集まるじゃんか。俺は星じゃねえんだから、そんな見られたら満足にレシーブも出来ないし痛いし。成功しても手首が痛いってなんなんだあのスポーツは。できる人は本当にすげえな。こうやって最初からやる気がなかったものだから教えを乞う気にもならなかった。別に上達する気なんてさらさらないのだし。
だから、運動会のスローガンに選ばれたところで俺には不適任というか。俺のことはいいから勝手にやっててくれやといった感じで。どこか遠巻きに見ていた。9月は嫌いだった。
でも、スキーは失敗しても楽しかった。もちろん全然滑れなかった当初は諦めてそり滑りに専念するかと思ったものの、後輩が何回も俺を誘って教えてくれたおかげで楽しめるようになった。人生で運動においてあんなに達成感を感じたのは、自転車に乗れたとき以来かもしれないな。なんかよく誤解されるけど僕自転車は乗れるからね。
学童時代、周りに合わせていきながら体育の時間はそのことに限界を感じていて、アンビバレントな状態だったけど、ようやく僕の中のカメレオンは凍結されたような気がする。
失敗しても、その犯人を突き止めようとはしない。そんな環境が用意されていることは、実はすごく幸せなことなのかもしれない。雪は全てを許してくれるのだ。プロだってたまには転んでいる。リフトに乗りながら、プロっぽい身なりをした男性が転び、倒れた姿勢のままゆっくりとゆっくりと、平行に雪山を滑り降りていく様を見ながら思った。公平とはこういうことだと。
自分の中の「色」は、「みんなに合わせながらもちょいちょい自分を出していきたい」に落ち着いた。目隠しを徹底してくれるなら、一人であっても手を挙げることが、今なら出来るかな。でも、みんなも手を挙げてくれたらもっと嬉しいな、ってそういう子どもじみた気分は、失くさなくてもいいかなってやっぱり思うのだ。
フランス・ドイツ周遊旅行記④〜雪原と化したヴェルサイユ〜
前回
シリーズ第一回
1月24日
パリを脱出
凱旋門からルーヴル、エッフェル塔と昨日はパリを網羅して疲れてよく寝た。今日はパリから少し足を伸ばしてヴェルサイユ宮殿に向かう。
またパンが三種類だけ登場する昨日と全く同じ朝ごはんを食べる。昨日はなかったコーンフレークが登場した。もしかしてだんだんグレードアップするシステムなのだろうか。
昨日朝食について教えてくれた若い日本人の姉ちゃん二人組が今日もやってきた。顔なじみになっていた僕らは軽く挨拶をする。ベッドメイクをしてくれず僕らのタオルを改悪してくるこのホテルにも日本人が泊まっているという事実だけが僕らを支えてくれる。
友人はまた姉ちゃん二人の会話を盗み聞きしたらしく、ヴェルサイユ宮殿という単語が聞こえたらしい。なんと昨日に引き続き目的地が一致していた。これはすごいな。
ヴェルサイユ宮殿はパリの郊外、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。
RER(高速郊外鉄道)というパリ市内とパリ郊外を結ぶ電車は①でも書いた通り治安が少し心配であるため、今回はフランス国鉄(SNCF)を利用した。おなじみのゼロ星ホテルの最寄駅Blanche駅からパリの主要なターミナル駅であるGare Saint Lazare(サン・ラザール駅)までメトロに行き、そこからフランス国鉄に乗る。
メトロも乗り慣れたものだが、高くそびえる改札をひょいと飛び越えて行く人が居てびっくりした。無賃乗車なのだろう。
サン・ラザール駅はかなり大きめな駅で、国鉄の券売機を探すのにも苦労した。入るのに改札がなかったため、これは買わずに行けるんじゃね?とも思ったけど改札を飛び越えて行く人ほどの勇気がないため券売機を探し求める。
ようやく見つけた券売機にて若い女性二人組が操作をしていた。あれ?この人たちもしかして…
そう、同じホテルに泊まっていた姉ちゃん二人組だったのである。偶然にも程があるぜ。姉ちゃんたちは僕らに気づいて挨拶しながら、「クレジットカードを上手く使えなくて困ってます」と言っていた。我々もよく分からなかったため、彼女らは巧みな英語で通行人に質問していた。僕らは「すげえ」とほざくしかなかった。
姉ちゃんたちは切符を購入して颯爽と去っていった。多分同じ電車なんだろうな。ちょっと一緒に行きたい気持ちもあるけど、流石にね。
フランス国鉄の車内の雰囲気は確かにメトロよりも良く、走っていく途中で照明が何やらあたたかなオレンジ色やエロティックな紫色など次々に変わっていった印象が強かった。パリピみてえな電車でちょっと笑っちゃった。
終点のVersailles-Rive Droite(ヴェルサイユ・リヴ・ドロワ駅)まで数十分揺られる。明らかに外の街並みが変わっていくのが分かる。
改札を出るとき切符がちゃんと必要だったし監視員もいた。よかったちゃんと買っといて。
駅からは20分ほど歩く。少し遠いが、歩いてよかったと思えるくらい雰囲気のいい街並みが続く。この素朴な感じはパリより好きかもしれない。スリいなさそうだし。
雪がいい仕事をしている。PVに出てきそうなくらい素敵な道だ。
少し歩くとかなり大きい建物が見えてくる。これが広大なヴェルサイユ宮殿だ。大きすぎて全体像を上手く写真に収められない。
門扉の装飾も凝っている。
宮殿内を見学
宮殿に侵入を試みるが、入口がどこか分からず微妙に悪戦苦闘。ここでも荷物検査が実施される。X線はなくてもやはり防犯はかなり徹底されている。
ヴェルサイユ宮殿はルーヴルと異なり、見学の順路がある程度決まっているので迷子になる心配はない。
ルーヴルで目が肥えていたのにも関わらず、実際に王や貴族たちが居住していた空間は圧倒的な存在感を持って我々の前に現れる。
礼拝堂。こちらでルイ16世とマリー・アントワネットの婚礼が行われた。パイプオルガンが確認できる。
長い長い廊下。多数の彫像が我々を出迎える。コツコツ足音を立てながらこの廊下を早足で歩いていると、なんか偉い人になった気分だ。
ヘラクレスの間。天井画はルイ14歳時代の最高傑作と言われている。このだだっ広い部屋も居室として使われていたというのだから驚きだ。
マルスの間。舞踏会が行われていた部屋らしい。赤と金色を基調とした装飾が印象的。
メルクリウスの間。
戦争の間。またまた豪華な部屋だ。奥の方に見えているのがヴェルサイユ宮殿で一番有名なあの部屋だ。
鏡の間である。流石にメインの部屋なだけに豪華さが段違いでしばらく見惚れてしまった。ルイ14世の権力の強大さを感じさせる場であると同時に、普仏戦争に勝利したドイツ帝国皇帝の戴冠式や、この屈辱への報復として第一次世界大戦後にヴェルサイユ条約が調印された場もここである。様々な歴史上の重大イベントがこの部屋で繰り広げられた。
当時は電灯など存在しないため、夜に宴会などが開かれる場合は、ゆうに3000本もの蝋燭に火がつけられていたと言われている。大変すぎだろ。
鏡の間を抜けると王の寝室がある。
こんな豪華な部屋でルイ14世はちゃんと寝られていたのだろうか。でも流石は寝室、天井画などは描かれていなく、白くシンプルな天井となっている。
有名な「ナポレオンの戴冠式」の絵画。ルーヴルにもあるのだが何故か写真が残っていなかったためこちらで載せる。
戦闘の回廊。ヴェルサイユ宮殿で一番大きい部屋で、ルイ=フィリップ王によって作られた。壁に掛けられている絵画はフランスの歴史の中で重要だとされる戦いを描いたものが揃っている。
あの方も出迎えてくれた。
さて、一通り宮殿内の見学が終わると、宮殿内にはお土産コーナーもある。ここでしばらくお土産を物色していると、またあの二人と奇跡の再会を果たした。
そう、同じゼロ星ホテルに泊まっていて駅の券売機でも出会った日本人女性二人組である。聞き慣れた声の関西弁が耳に入って思わず振り向くと目が合ったので挨拶をした。なんか、世界って狭いんだなあ。
少し話をした。彼女たちは関西の大学生で、卒業旅行でヨーロッパを周遊しており、オランダ、ベルギーと巡ってきて、フランス、そして明日からイギリスに行くらしい。すごすぎる。
ゼロ星ホテルについての話もした。毒々しいネオンが印象的な最寄駅については、「行ったことないですけど新宿の歌舞伎町みたいですよね」という名言を残してくれた。行ったことないのに「歌舞伎町っぽい」って思わせるの流石だな。
しかし、彼女たちの部屋はベッドメイキングされていてタオルも替えられていたらしい。
はーい差別!クソホテル!
明日からイギリスに行くとなると、もう彼女たちに会うこともないのだろうなあ、と一期一会を感じつつ、彼女たちと別れを告げた。
広すぎる庭園
かなり広く思えた宮殿だが、ヴェルサイユ宮殿の敷地の全体図を参照すると、ヴェルサイユ宮殿は下の方に見えている建物にすぎない。
いや庭園広すぎ。
地図の右上の方に見えるのがもう一つの宮殿であるトリアノン宮殿。ここまで我々は徒歩で行くことを決意した。
まあゆーて庭園だし緑を楽しみながら歩いてればすぐだろうと思ったかもしれないが、思い出してほしい、この旅行をしたのは1月だ。
白い。
スキー場かな?
というわけで我々はひたすら雪原と化したヴェルサイユの庭園を歩いていくことになる。代わり映えのしない写真が続くがご容赦ください。
泉の水も当然凍っている。それでもなお美しい。春や夏には噴水ショーが行われてるらしいですよ。そんなディズニーみたいな場面が想像できないのだけど。
森に入っていく。
森の中にコテージみたいな店構えの軽食屋があったのでここで昼食を取る。なかなかノリの良いおじさんが居た。チップをくれと言わんばかりの紙コップにお釣りの小銭を入れてあげた。
写真がないし、何を食べたか覚えてないくらい既に疲れている。
遠近法の極みみたいな道。ずっと奥に小さく見える建物まで歩いていくらしい。歩けど歩けど景色は変わらぬ。我々はやけくそになり庭園で熱唱し始める。
しかし建物に近づいてみてわかった。
あれはトリアノン宮殿じゃねえ。ただの門だ。
来た道を引き返す。やけくそだ。途中で現地の人らしき女性に心配そうに話しかけられた。
やけくそになりながらも到着。トリアノン宮殿は「大」と「小」の二つがある。こう書くとトイレみたいだがどう表現したら良いかわからん。
まず我々は「小トリアノン宮殿」に向かう。ルイ15世の公妾であるポンパドゥール夫人のために建てられたものだが、完成した時には既に夫人はこの世にいなかった。
宮殿はマリーアントワネットに与えられる。彼女は一人で静かに風情を楽しみ、宮殿で最も愛した場所と言われている。
可愛い中庭が印象的。
内装はシンプルで本当に王妃が住んでいたのか、と思うほど。あまり煌びやかな場所にずっと居続けるとシンプルを欲するようになるのかもね。
ビリヤード台も置いてあった。
続いて大トリアノン宮殿に向かいたかったのだが微妙に迷子になる。
だいぶ奥まった場所に来てしまったような気がする。
なぜか羊さん達がいた。ここもう絶対観光客が訪れるような場所じゃないでしょう。普通に飼い主みたいな人が現れた。
雰囲気が一変する。ジブリ映画みたいな景色だな。
やっと大トリアノン宮殿を発見。
大トリアノン宮殿は、ルイ14世が堅苦しいヴェルサイユ宮殿での生活から逃れ、公妾モンテスパン夫人と過ごすために建てられた離宮である。上の写真は「鏡の間」と呼ばれる場所で、離宮にもあったというのは初耳だ。光が効果的に取り入れられていて美しい。
部屋の色使いが好きだな。優雅で目が楽しい。
さて、二つのトリアノン宮殿も堪能したところで、そろそろヴェルサイユ宮殿を後にしようと思うのだが、駅に戻るまでは当然、来た道を引き返さないとならぬ。
脚が悲鳴をあげる。
果てしなく長い道を歩き続ける。なんで俺雪靴で来なかったのだろう。ちょうどこの記事はスキー旅行の帰り道で書いてるんだけど、スキー板履いて一気に滑っていきたいくらい長い道だった。
途中から思考停止して「あの姉ちゃん達に会いてえ」と538回くらい二人で連呼した。でももう会うことはなかった。また日本で会えたりしないかな。もう顔を忘れ始めているのだけど。
そうこう言っているうちに入口に到着。晴れ間が見えてきてなかなかカッコいい写真が撮れた。
やっぱりヴェルサイユ宮殿周辺の街並みは好きだな。
電車でパリに引き返す。座席に座った瞬間に予想を遥かに超える脚の痛みを感じる。パリに着いた時にはもうギャグみたいな歩き方しか出来なかった。
その脚を引き摺りながら、友人が目当てだと言っていた紅茶屋に向かう。紅茶のいい香りが漂う温かみのある店内の雰囲気で少し癒される。しかし疲れ切っていて写真は撮っていない。
パリの裏道。
この後もデパートを物色したり夕飯としてパン屋に入ったりしたが一度もスリには遭遇しなかった。パン屋の店員の愛想は悪いが金は盗られなかった。
ホテルに戻って感動した。ベッドメイキングがされている。タオルが替えられている。昨日はただのミスだったのか。こんな当たり前のことに感動していた。
少し、パリを見直したかな。まあ、もうパリはさよならなんだけど。
フランス・ドイツ周遊旅行記③〜迷宮のルーヴル美術館〜
前回
シリーズ第一回
迷宮のルーヴル美術館
スリ集団をタックル気味にかわし、ルーヴル美術館に侵入する入口を探す。これがなかなか見つからない。
少しウロウロしていると、とても有名なルーヴル・ピラミッドが見えてきた。ランドマーク的存在であると同時に、これがルーヴルの入口となっているのだ。1月という閑散期に行ったものの、それでもピラミッドの前には長蛇の列。これが4〜10月というピーク時ならどうなっているのだろう。僕らはかろうじて現地に買うのに耐えられる待ち時間だったが、事前にチケットを購入しておくことをオススメする。
入口ではX線も設置されている空港ばりの手荷物検査があり、エスカレーターで地下に潜り込むように入る。空港でもそうなのだが私はこういった類の手荷物検査でやたら慌ててしまうので、今回も不審者みたいな挙動を呈しながら金属探知ゲートを通過していった。
エスカレーターを下ると広々としたエントランスホールが広がっている。写真を撮り忘れたので文章で表現するしかないんだけど、四方八方にチケット売り場や美術館への入口、レストラン、売店、出口が広がっていて、想像以上に現代的で開放的なデザインになっていた。
これはルーヴル美術館の公式サイトに載っている館内図だが、ルーヴル美術館はこのように「リシュリュー翼」、「シュリー翼」、「ドゥノン翼」という3つのエリアがU字状に並んでおり、それぞれの展示室も繋がっている部分と繋がっていない部分があって、非常に迷宮度が高い。我々も何度もこの迷宮っぷりに翻弄されることになる。
これは一番迷宮度の高い1階の館内図である。1階のドゥノン翼は「モナリザ」や「サモトラケのニケ」、「民衆を導く自由の女神」といった有名作品が集結しているエリアなので、時間のない人でもここだけは押さえておきたい。
73,000平方メートル超えの敷地の中に35,000点もの作品が展示されている上にこの迷宮っぷりであるため、すべての作品をじっくり見て回るには丸3日かかると言われている。
我々は出来るだけ欲張りに網羅するという無茶すぎるプランを立てていたので、6時間ほどでほぼすべてのエリアをぐるぐる回っていった。その記録を写真を中心に残していきたい。
地下2階にある軽食屋でパンを買ってエネルギーを補給。
まずは、リシュリュー翼地下1階と地上階にある、彫刻や古代オリエント、古代エジプトを中心としたエリアを回っていく。私は古代の芸術作品は全くと言っていいほど無知なのであまり写真を撮っていない上に作品名も分からないんだけど許してください。
リシュリュー翼に入るとこれ自体が芸術的と呼べるような広がりを持った空間が我々の目を楽しませた。白を基調とした空間の中に数々の彫刻作品が展示されている。
それぞれの展示室の中に入ると古代オリエントやエジプトの作品が展示されている。
とても顔色が悪そうだ。
非常に細かいところまで作りこまれていて驚く。
手。
続いて1階に上るとヨーロッパの装飾美術コーナーになり、空間の輝きが一気に色とりどりになる。
特に目を奪われるのは「ナポレオン3世のアパルトマン」。豪華絢爛なこの空間にて実際にナポレオン3世が生活していたというのだから驚きだ。
ナポレオン3世本人も登場。絵画の大きさも半端でない。私が並んでも額縁にすら達さないくらいの大きさ。
やっぱりこの美術館は迷宮だが、展示室以外の造りも素晴らしい。
小物も多く展示されていた。
目眩くばかりの天井画。
有名作品が集結している1階のドゥノン翼に向かう途中の階段の踊り場で、「サモトラケのニケ」が我々を出迎える。ヘレニズム時代の貴重な彫像の一つで、勝利の女神ニーケーを表現している。スポーツ商品メーカーのナイキ(Nike)の社名はもちろん、あのロゴマークもこの彫像の翼がモチーフになっている。
そしてひときわ人集りが出来ていたのはやっぱりこの方。元々小さめな絵画である上に、人混みがすごくてまともに写真に収めることができない。モナリザの前ではスリが多発しているらしいので注意。
1830年のフランス7月革命を主題にした「民衆を導く自由の女神」。私が特に好きな絵画の一つであり、しばらく見惚れてしまった。
聖書をモチーフに、ヴェネツィアを舞台に置き換えた、聖と俗が融合された作品「カナの婚礼」は特に大きな絵画である。高さが6.8メートル、幅が9.9メートルもあるそうだ。
フィリップ・ド・シャンパーニュが描いた「最後の晩餐」。これを機に調べてみたら予想以上に「最後の晩餐」というタイトルの絵画は多い。Wikipediaに記事がある作品だけでも12作品ある。いつかミラノに行ってレオナルド・ダ・ヴィンチのバージョンも見てみたい。
しかし、いかんせん作品数が膨大で次第に脳がパンクし始める。確かにじっくり味わいながらすべての作品を見るのは一日じゃ無理ですな。早足で沢山の作品を流し見するという贅沢な行動に出始める。
ここらへんの絵の色使いがとても好きなのだけど、誰かタイトルがわかる人いますか。絵の中の「主題色」がはっきりしている作品が好きなのかもしれないな。
他にもイスラム美術のコーナーや中世ルーヴルのコーナーも回る。脚がかなり疲弊し始める。美術館で脚が疲れたの初めてだよ。
シュリー翼の地下には、12世紀に城砦として築かれたルーヴルの遺構が残されている。
なんか見るの忘れてね?と終盤に訪れたのがこちら。
「ミロのヴィーナス」
これで超有名作品は回り切れただろうか。
出口の近くにはお土産ショップがあり、地上のルーヴルピラミッドと対になる「ルーヴル・逆ピラミッド」が存在感を放っている。
数枚の写真では到底紹介し切れないような広大で魅力的な美術館なので、パリに訪れた際は必ず足を運びたい場所だ。部屋が行き止まりになっていたり上手く通れなかったりするその迷宮っぷりに翻弄されるといい。めちゃくちゃ疲れた。
転売ヤーとエッフェル塔
ルーヴル美術館の地下に直結している駅からメトロに乗り込み、パリの最後の目的地であるエッフェル塔に向かう。本当に贅沢な行程だ。
自動券売機の近くには「チケット売ってるぜ」と全員に声をかける男がいた。みんな無視していたが、券売機の近くに「高いし使えるか分かんないから売人からチケットを買うなよ」的な注意広告がデカデカと貼られていた。その広告の目の前で売るとは、なかなか肝の据わった男である。
メトロに数分揺られてエッフェル塔の最寄駅「Trocadéro」に到着。
ちょうど良い時間に撮影できて、エッフェル塔のてっぺんから光が放たれている神々しい写真が撮影できた。エッフェル塔の真下に行って登るのも考えたが、流石に疲れ切っていたため、遠くから眺めるのにとどまった。
このまま夕飯を食べようとTrocadéro駅の近くで探すと、「le wilson」というお手頃な価格のカフェが目に入ったので入店。観光客で賑わっていた。前菜とメインとデザートが付いてくるコースを頼んだ。やっとフランスっぽいご飯を食べている気がする。
パンは当然のように机上のカゴに置かれる。料理が来るまでこれでも食べてな的な意味だろうか。ちなみに水はちゃんと「water」と頼まないと持ってこないので注意。
綺麗に盛られた前菜。卵が美味しかった。
メインの「steak with shallot sause」。シャロットは西洋料理の香味野菜としてよく使われるらしい。
昨日のジャンクディナーもそうだが、ポテトの量が微妙に多い。そして肉は固くてナイフで切るのが難しかった。友人はナイフとフォークの使い方に慣れているためレクチャーしてもらった。今回の旅行で間違いなく上達したのはナイフの使い方だと思う。
パリジャンのアイスらしい。ぶっちゃけこれが一番美味かった。
二つ星ホテル改めゼロ星ホテル
今日はパリを回ったもののどこに行ってもパトカーの音が聞こえる。決して安全な街とは言えないなと思いながら毒々しいネオンが光る駅の二つ星ホテルに戻る。
疲れたからさっさと寝ようと部屋に戻ると衝撃の光景が広がっていた。
ベッドメイキングがされていない。俺らが朝に部屋を出たままである。メイクするの忘れてたのかな、まあそれくらいなら許すわとバスルームに入ると更に衝撃が走った。
替えてくれよとシャワーの下に置いておいたタオルで何故か床が拭かれており、汚れた状態で床に放置されたままだった。これは従業員が部屋に「入り忘れた」のではない。ただ「改悪」されただけだ。だって俺らはタオルで床拭いてないもん。なんなんだよ一体。そしてタオルについているこの茶色い汚れはなんなんだ。このタオルで体が拭けるわけない。
流石に温厚な俺でもブチ切れるレベルの対応だったが二人で笑った。笑うしかなかった。スリにも会うし部屋は改悪されるし踏んだり蹴ったりな一日だった。このせいで我々のパリへのイメージが低くなったのはもう仕方ないことなのだ。今後の旅行でも再三パリとか二つ星ホテルはdisられる対象になるのである。
微妙な気持ちでシャワーを浴びるも、ぬるい温度のお湯しか出てこない。微妙に風邪をひきそうな。先に入った友人は特に騒いでいなかったので、ちょっと入るのが遅くなったのが原因だろうか。僕はもう無の境地に達した仏のような顔でシャワーを浴び続けた。仏国だけに。そして今後の旅の幸福と無事を心から願った。