ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

3月の色

熱海に行って、日本一早く咲くという梅の花を見てきた。河津桜も少し咲いていた。

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陽の光が眩しくて画面がよく見えなくてボケているが気にしない。

今年は、なんだか春が少し早めに来たような気がする。嬉しくて仕方がない。

3月はなぜだかインフルエンザ発症率が高すぎることに定評がある(多分20年中5年は3月にインフル発症してる)私だが、今年はなんとか元気に乗り越えていきたいものだ。

 

今、いろんな3月を思い出している。

卒業式。泣くつもりなんか全然なかったのに泣いてしまった教壇から見た景色や、使い古した制服で最後の写真を撮ったときにふと包まれたような温もり、桜の音、黒板の匂い、チャイムの色。

新しい生活に向けて中途半端に時間があるから、自転車を漕いで近くのショッピングモールに併設されたカラオケに通っていた3月。今となってはすごく小さなお出かけだったけど、あの頃の俺たちには冒険だった。

引っ越して電車の行き先が一人だけ違って、みんなに背を向けて家に帰って、自分の部屋でパーカーを脱いだときにこぼれ落ちた桜の花びらの鮮やかさ。

またどうせ会うんだろうと思いながらも、それぞれの先に延びる道を見ている友たちの凛々しい目に、時間の流れを感じたり、無性に寂しくなったり。

 

とにかく、3月は寂しさのあり方がやさしい。日頃突然に訪れる理不尽や悲しみの刺々しさとは違って、ちゃんと、予告通りにやって来る3月の寂しさは、どこか春の風のような温もりを持っている。関係を清算するように見えて、より一層強めてくれるような一瞬の別れが、愛おしくて仕方がない。こうした別れがあるからこそ、日々を輝かせられるのかもしれないし、前を向けるのかもしれない。

新しいことを一つ覚えたら、あんなに大切だった日々をあっさり忘れてしまう。記憶と時間が有限だからこそ、3月が輝いているのだろう。

 

何が正しかったかなんて、今でも分からない。それでも、大切な誰かを傷つけたくないと歩んできた道はきっと、3月のような静かな光が照らしてくれているだろう。そう信じてまた新たな日々を見ていこうと思うのだ。