ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

名前のない文章の断片

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何を書いてあるかじゃなくて誰が書いたかでいつまでも判断している自分の浅ましさをだんだん受け入れられるようになってきた。

 

旅行記は自分が書きたいタイミングで書けばいいと思った。モンサンミッシェルの魅力を表すのには時間がかかりすぎる。

 

満点よりも30点を量産することにしていたが、最近満点を求める傾向が復活してきた。

 

言葉だけではどうしようもないこともあるとだんだん絶望できた。だからよりいっそう言葉への執着心が増えた。

 

自分は少しでも環境がズレていたらいじめられるような性格を持っていることを20歳にして実感し、つくづく周りに恵まれていたことを知った。

 

同時に、自分の代わりに怒ってくれる人にめちゃくちゃ甘えていることを実感した。

 

「知りたい」とちゃんと表明しながら他人に甘えられるような人になりたかった。自分一人で知ろうとするのをやめられればよかった。

 

同じように他人に対しての羨ましさをストレートに出してその人と付き合っていくような人が愛おしくて仕方ないと思った。

 

桜は相変わらず思い出をぶら下げすぎている。

 

といっても3月はやっぱり愛せずにいられない。

 

小説以外で、ただただ文章の美しさと強さだけで泣けたことがとても嬉しかった。

 

文体の相性の存在を再確認した。結局好きだなって人は俺の好きな文体で書く。

 

調子がいいときに文章を書いてきた傾向があるから、調子が悪いときに書いた文章がどんな鋭利さを持つのか確かめたくて断片的に書いてみたが、いつもと変わらないような気がした。