ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

断片の輝き

以前、見ず知らずの高校生に対してオンラインで勉強を教えるバイトをしていたことがある。

生徒が分からないところの写真を撮って投稿し、教えられそうな講師が立候補して個別指導に入るというシステムだ。分からないところだけを迅速に解決できる、なかなか合理的なシステムであるように思う。

チャットで教えることもできるが、音声通話を用いることもできる。シャイな人が多いのか、チャット希望の生徒の方が多かった。だけど私が教えた生徒のうち、一人だけ音声通話希望の子がいた。

その子の質問内容は、政治経済の衆議院参議院の違いに関するものだったと思う。答えられそうだったので立候補し、どこの誰かもわからない男子高校生との短い通話を始めた。

流石に音声通話を希望するだけあってか、明朗快活な話し方をする子であった。もちろんカメラは使わないため、顔も部屋の様子も分からないが、おそらく机の上は綺麗かあるいはそのまったく逆であろう、とどこかの誰かの部屋の中を想った。

5分くらいの短い会話であった。数個上でしかない私が、政治の仕組みについてプロみたいに話した。「なるほどわかりました。ありがとうございました」と言って、通話は切れた。

 

あれから一年以上経っている。おそらく彼は受験生だったから、もうとっくに入試は終わっていて、大学生になれたかそうでないかは分からないが、今日も元気に綺麗な部屋で生きているだろう。生きていてほしいと思う。

私が教えた政治経済のたった一つの知識が彼の人生を左右したなんて思い上がったことは言わない。だけどあの時たしかに私は彼の人生に5分間だけ交わり、たしかにひとつ何かを与えた。

彼が大学生になったとき、私のことを思い出す時間は少しもないだろう。そんな質問をしたこと自体を忘れているかもしれない。それでいいと思う。あの一瞬を忘れてしまうくらい、大学生を楽しんでいてくれたら嬉しい。

 

今まで出会ってきたすべての人の人生に、何らかの形で交わっている。たとえ、それが5分間だけであろうとも。

この限りなく果てしない命題は、たまに嬉しく、そして恐ろしく感じられる。スクランブル交差点ですれ違う無数の人々の中に、未来の友人がいるかもしれない。未来の上司もいるかもしれない。未来めちゃくちゃ憎む人がいるかもしれない。誰とどこでどんな風に交わっているか分からないから、思い出を一つずつ覚えておくことしかできない。伏線に気づいた時は、その伏線には戻れない。

液状化した現代社会は、誰との間にも境界線は引けない。境界線に見えるものは引いているつもりになっている線であって、踏み越えるか否かは自分が決める。だからこそ、私は途方もなく小さな断片的な思い出を、宝物としてしまっておきたい。ある日とんでもなく心惹かれる何かが、そこには眠っていると思いたい。

 

いつか政治経済を教えた彼とスクランブル交差点で出会ったら、どこの教科書にも載っていない、私の人生で出会わなかった彼の沢山の知見を、5分とは言わずに教えてほしい。ゆっくりでいいから。