ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

生きているだけで

電子機器に弱い母親のスマホの写真をパソコンに取り込んでいたとき、パソコンに残っている2001年からの写真を見返していた。

アルバムに大量の写真が残っている兄とは違って、次男は残される写真が少なくなりがちで、時代の流れもあって僕の写真は主にデジタルで保存されている。

スクロールしながら僕の歴史を辿っていくと、こんなこともあったなあと思うと同時に、もう戻れない過去がたしかにあるということを、月並みながら感じていた。

 

写真の中で幼い頃の僕の肩に手を置いてくれている人の温もりはもうこの世界からいなくなってしまったし、背景に写っている車はもう売ってしまったし、ちょっとボケた独特のニュアンスの写真をもう撮ることもできない。白黒写真で写っている昔は実際の世界も白黒なのだと割と長い間誤解していた自分ももういない。新聞の天気予報を永遠と模写したり電卓を永遠にいじっていたりした僕は、今や根っからの文系大学生だ。中途半端に成長して今大人になろうとしている。

マンションの片隅でDSを一緒にいじくりまわしていた奴らはもうすごく髪が綺麗に染まってカッコよくなってるし、まっさらな自由帳を真っ黒に汚すほどのエネルギーももう持っていない。理不尽なカードゲームも迷路もRPGも行方不明で、あんな短い時間に遊び尽くそうとしていたことが不思議で仕方ない。

こんなことを思いながら、懐かしい気持ちで写真を眺めていた。

 

そんな僕も本日12月29日をもって20歳になりました。一つの人生の節目に際して、少し思いの丈を書いておきます。

色んな思い出がよみがえってきて、もう二度と取り戻せないものもたくさんあるけれど、それ以上にたくさんのことを、この20年間で得られてきたと思います。特に19歳を過ごしたこの2018年はあらゆることが起きて、こんなに情報量が多い年はもう来ないのではないかと思っています。

私事だけど、今年の6月に父を亡くしました。突然のことでしたから、今でもある日ふと帰ってくるのではないかという気持ちが拭えません。成人になった今日、やっぱり父にもちゃんとこの姿を見せたかったな、ちゃんと今まで育ててくれたことへの感謝を伝えたかったな、と寂しい気持ちもあるのですが、起こってしまったことは仕方ないので、僕は何があっても生き延びます。絶対に。

身近な人の死という出来事は少なからず僕の考え方に影響を与えていて、突き詰めればこのブログを書き始めたのも、この出来事に対する思いが溢れそうで、とても自分一人では抱えきれないと思ったことが理由としてあります。

でもこの出来事を通してより鮮やかに見えてきたこともあって。それが「生きているだけでOK」という究極の考え方です。どんなに悲しくたって辛くたって、とりあえず何か食べて生きていればそれでいいと。あなたが生きているだけで僕は嬉しいのだと思えること。存在の全肯定、というか、無理に何かをする必要もなくて、とりあえず明日もそこに居てくれればいい。烏滸がましいですが、周りの人に対してそう思うようになったのです。

父は、いつも僕のことを周りの人に自慢してくれて、「こいつは将来面白いことをやるぞ」とよく吹聴していたそうです。宣伝会議賞で協賛企業賞を頂いたときも、授賞式の動画を何度も何度も擦り切れるくらい見ていました。最後にあのような姿を見せることができたことを嬉しく思います。

こんな風にいつでも僕を全肯定してくれていた人の尊さを、失って初めて気づきました。でも父のことだから、天国でも僕のことを面白い奴だと思いながら見てくれていると思います。だから俺は絶対に生き延びないといけないのです。面白いことをするまでくたばるわけにはいかないのです。

そして、今奇跡的に一緒にいてくれる人を、もっともっと大切にしようと思いました。

20年間生きてきて、自分は本当に周りの人々に恵まれたと思っています。たくさんの優しくてやわらかい言葉をくれた人も、一緒にずっと遊んでくれた人も、こんなに信じさせてくれた人も、だいすきな人も、たくさんの思い出を作ってくれて、振り返ってみてしんみりもしながら、本当に幸せだと思っています。ありがとう。

すごくプライベートな自分語りをしてしまったけど、誕生日の今日だけは許してください。

こうやってブログを書き始めて、いろんな人から「読んだよ」とか「面白かった」とかたくさん言ってもらえて嬉しかったです。これからもたくさんのことを書いていく面白い奴になりたいので、20歳の私もよろしくお願い致します。

空からでも、ちゃんと見ててよ!