ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

花びらのために

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めまぐるしく過ぎていく春の日に、ぼんやりとのどかに立ちすくんでいた花が涙をこぼす頃に居なくなってしまった人のことを思い出す。

 

あっという間に散っていく花びらは色々なものに喩えられる。桜がシャワーのように舞っている景色はきっと誰もが好きだと思う。それはビジュアル的な美しさもさることながら、目の当たりにする短い命に、何かが反応してしまうからなのかもしれない。

桜には色々な思い出をぶら下げすぎているから、それが緑色に変わるとき、自分が一時的に消えてしまったような気持ちになる。

思えば、誰かと初めて話した日、よく話題に出していたのは桜のことだった気がする。皆の上に等しく降り注ぐ桃色の雨は、冬で固まっていた心を柔らかくしていく。パーカーのフードに潜り込んで残った花びらが部屋の床にひらりと落ちたその瞬間、思い出が一度に脳裏を駆け巡るあの感覚が好きだ。

なくなってしまった命は、パーカーの花びらみたいに時々ふっと思い出を呼び起こしてくる。

 

梅雨の時期に居なくなってから、彼が居ない初めての春を迎える。彼と桜の下を歩いた思い出はないのだけど、それでも桜を見ると少しだけ懐かしく思えてしまうのは、桜の下で始まる出会いと、その桜があっという間に散っていく様子が、人と人との巡り合わせ、出会いと別れをたった数週間で描き切っている気がするからだ。

向こうの世界に春があるのかは分からないが、なんとなく、桜は咲いている気がする。そこでは花びらはこぼれ出しているのだろうか。なんとなく、私の遥か上空から溢れた花びらが、差出人不明の手紙のように、思い出を添えてやってくるのではないか。こうした無茶な想像のことを、私は希望と呼び続けたい。無茶であり続けるために、私は生きていかないといけない。