ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

引退

このような場を設けていただき、ありがとうございます。なかなかこうしてみんなの前で語る場面もないので、僕はHASCのみんなが大好きだということを伝えたいです。

広告とは話がズレるのですが、HASCの人たちは共感力と包容力、そして感受性が豊かな人が多いなと思っていました。

LINEで誰かがノートを作ったときにスタンプを押してくれたりとか、僕の誕生日に個チャで皆がそれぞれLINEくれたりとか、そういう細かいところが好きです。後から思い出して幸せを見つけるのってそういう細かいところだったりしませんか。

誰かがそれぞれの時間を費やして何かに向き合っているということに意識を注げることってとても大切だと思います。だからこそ遠い未来だけじゃなくて、今、自分の身の回りに広がっているあらゆる景色の中に幸せは隠れまくっているから、そこにちゃんと感謝ができることの大切さを教わりました。

 

僕はジャズ研に駆り出されて度々居なかったり、役職も何もない割に部室にはのさばっていたり、傲慢な人間だったなあって思いますが、それでもこんな自分を受け入れてくれて本当にありがとうございます。

そして、ちゃんと自分が自分のままでいられることってめちゃくちゃ大切です。「変な人が多い」と言いながら誰もが受け入れられているのってとてもすごい。


広告のサークルで言うことではないかもしれないですが、最近特に「人と被るな」とか「誰も思いつかないことをしろ」という言説が溢れかえっています。

けれど僕は、特別さやオリジナリティと同じくらい、周りに合わせられることや何かを地道に続けられること、真面目に何かをこなせることも尊重されなければならないって思っています。


僕は奇抜な発想はできないし、クラゲのようにゆらゆらしていただけなんだけど、それでも居心地が良かったのってすげえなって思います。HASCの人たちはオリジナリティが溢れている上に、「普通」も同じくらい大切にしてくれます。そうした、ありのままを受け入れられる人に僕もなりたいです。

無理に特別になろうと頑張りすぎる必要はないし、ありのままでいいんだよということを教わったし、僕も誰に対してもずっとそう思い続けていきたいです。


僕の大好きなスピッツの歌詞に「幸せは途切れながらも続くのです」というものがあるのですが、この幸せとは「普通」とも言い換えることが出来ると思っていて。ずっと過ごしてきた「普通」はある日突然「普通」ではなくなって、かけがえのない日々だったということに気づきます。そのことはとても悲しいことだけど避けられない。だけど、また新たな平凡ながら輝かしい日常が必ず続きから始まるのです。


これから変化が激しい日々が続いて、普通な自分の意味がズタズタにされる時が来るのかもしれません。こんなときに傷を癒してくれるのは、そんな普通であることが出来た自分自身の思い出です。僕にとってその思い出こそがサークルの皆との日々です。

思い出は甘えるためにあるものだと思っているので、このサークルでの日々は時々思い出させてください。

過去ばっか見ていると言われても、過去も未来も現在も同じくらい大事だと思います。過去は変えられないものではあるけど、カバーを変えることはできる。過去をどう捉えるかは自由なのです。現在はそんな過去の積み重ねの上にあるから、過去を大切にすることは現在の自分の全肯定に繋がります。そう思っています。

なんだか卒業チックだけどまだまだ学生やるつもりなので遊びとかご飯とか行きましょうね。

ありがとう。またね。