ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

アーカイブ

 もう、インスタの投稿ぜんぶアーカイブにぶち込んじゃおっかな。

 隣にいた若者が、夜の色を纏った電車の中で唐突にそう言った。

 若者の友だちと思われる男は怪訝な顔をして、アーカイブとは何なのかと若者に尋ねた。見たところ若者より年上で、インスタの細かな機能をよく知らないといった様子だ。

 若者は笑いながら続ける。ああ、そっか知らないか。一度投稿したものを自分しか見えないところにもう一度ひっこめておく機能って言えばいいのかな。何枚も写真を加工したし文章もたくさん書いたし、削除するのはもったいない気がするけど、このままみんなの前に見せておくのも違うよなってときに便利。

 年上の男は合点した様子でうなずく。なるほどね。そしたら君は自分の投稿をみんなに見せたくなくなっちゃったのか。

 見せたくなくなっちゃったというか、すべてを自分の中に取り戻したくなったというか……若者は口ごもる。少し間があいて、「取り戻す」って、そもそも何か失ってたのかと男が聞いた。

 若者は一気に喋り出す。他人に自分の写真を見せたりSNSでシェアしたりするのって、「ほらほら、私の生活ですよー」って自分の人生を切り売りしているようなものじゃん。この自粛でしばらく家にひきこもってたらさ、自分が大切にしている人との思い出をこんな簡単に切り売りしていいのかなって。長らくひとりになってみて気付いたんだよね。なんか今日あったことを事細かく載せたりプライベートすぎるものを公開したりするのが、途端に恥ずかしくなったというか。

 そんなの皆に見せてどうすんのよって気持ちはあるよね、俺世代の人たちはよく言っているイメージ。男は自嘲気味にそう言った。

 何も気にせず外に出ていた時は特に変に思わなかった。だけど、皆ひきこもるようになってもなお、自分の生活を載せる人が意外と多いなって思って。若者は、家の中の生活を皆に見せようという気持ちにはならなかった。

 「おうち時間」ってやつか、と男は電車の椅子で姿勢を直しながら言った。

 そう。あれ自体は別に何も思わないんだけど。私の中で「家」って自分だけの領域ってイメージがあって。なんか抵抗感があったな。テレワークするときは寝床と仕事場を分けた方が良いって聞くけど、自分の生活世界を公に接続することへの抵抗感って皆はあんまないのかな。

 話している間に電車は駅に到着し、若者の対角線に位置する座席にカップルらしき人たちが座ってきた。座ったのだが一人分の空間をあけていた。もともと一緒にいた二人が電車で今更距離を取ったところでそこまで意味はないような気がするが、これは距離を取ることを乗客に見せること自体が目的なのである。ここは公だから。

 年上の男が話す。このご時世で、公共の場での振る舞いが倫理的に強く求められるようになって、それに引っ張られるように私的領域での振る舞いにまで公的領域の倫理を持ち込んでしまうのかもね。だって家が散らかっててもカップ麺ばっか食べてても部屋の中を裸でうろついてても、他人に迷惑をかけなきゃ自由じゃんか。でも公の場が閉ざされてしまって、倫理的でありたい欲求が暴走して、仕方なく公で見せていた倫理を私的領域で披露するしかなかったのかもしれないね。

 「少なくとも他人に見せられるくらいの生活を保てています。」ーー「おうち時間」はかろうじて自分が公に繋がり続けていることを示す存在証明に近いのかもしれない。そしてその証明は、私的領域の中へ他人を容易に招き入れていいのだという前提の上に成り立っている。

 若者は言う。話ズレるかもなんだけど、二人がくっついている写真を載せたりするカップルとかって、ある意味私的領域の抵抗なのかもしれないね。公の倫理に浸食されそうな私的領域のものを、公に投げ返してやる。見てて恥ずかしくなるくらいプライベートなものを載せる。公と私は絶対に交わらないぞって言っているみたいで、これは私的領域を守る救世主なのかもしれない。

 男もうなずく。なんにせよ、公と私の問題って難しくて、常に意識していることなのに語りづらいことな気がするんだ。今、両者の境界線はますます曖昧になっていて、お互いが相容れない。だけど、境界のはざまで誰かを排除するようなものにはなってほしくないな。

 若者はハッとしたように男に話す。ねえねえ、アーカイブ投稿っていうものもあるんだ!インスタに投稿してすぐにアーカイブに移す。そして三日ほど経ってからアーカイブから外す。こうすることでタイムラインには投稿が流れないけど、自分のプロフィールにはその投稿が見られる形で置いてある。

 これって、家みたいじゃない?自分の家に訪れて覗き見をした人しか見られない投稿。これに対して文句を言われたって、「覗き見した方が悪いだろ」って言い返せる。今度からアーカイブ投稿にしようかなあ。若者は微笑む。

 男は言う。覗き見に快楽を覚えるストーカーを生み出しそうな気もするけど……面白いね。見せたいけど見せすぎたくない。そんな微妙な心理が働いているみたいだ。まあよくわかんないけど、うまくSNSと付き合えるといいよね。

 雑に締めくくると、電車が最寄り駅に着いたようで、男は電車から降りていった。彼を見送った若者は、スマホに目を落とす。

 この電車で起こった出来事は、おそらくアーカイブ行きで、ずっとタイムラインには戻ってこないだろう。それでいいんだと思う。切り取られなかった日常が溜まっていくアーカイブこそ、私たちが守らなければいけないものなんだ。残しておきたい写真なんて、皆の前には展示してやんない。だって、色褪せちゃうもん。それに、タイムラインに思い出を漂流させて私と思い出の間にまでディスタンスが取られたら、私は何を抱いて眠ればいいのかわかんなくなるから。