ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

少しだけ早いバイバイ

 私たちの世界の外からやってきたウイルスによって、突然日常が葬り去られた学生たちの声を聞いていると、日常の途方もないきらめきみたいなものを、感じずにはいられない。

 いま、新型ウイルスの感染拡大を防ぐために、全国の学生たちには突然春休みが訪れている。連日のニュースを見ていると、「このまま友だちとお別れするのはさみしい」と残念そうな表情を浮かべる子どもが映し出される。「春休みが一ヶ月近くあるなんて最高だぜヒャッホイ」と言う暢気な子どもの顔は、あまり出てこないようになっている。センチメンタルで少し傷がある子どもの方が、美しくて、愛されるからだ。

 しかし、不思議なものである。彼らにはどのみち別れが迫っていた。三月の卒業式や終業式を迎えれば、否が応でも教室のメンバーは解散だ。今年は、その解散のタイミングが少し早まっただけである。六月の半ばで急に「学生生活、終了です」と告げられるのとはワケが違う。別れが「少し、早い」だけだ。それでも、あと少しだけ続くと思っていた日常は、ウイルスひとつで強制終了させられるものなのだと、知った。

 私は、これと似たような感情を、九年前にも体感した。2011年3月11日、東日本大震災である。

 この日は金曜日だった。当時の私は小学六年生で、卒業を間近に控えていたので、もう学校も午前中で終わるような日々が続いていた。14時46分は、同じマンションに住んでいた友だちの家で遊んでいた。マンションの九階で、今まで体感したことのないような揺れに襲われた。友だちの家では食器が散乱し、水槽の中身がこぼれ、あっという間に非日常が訪れた。

 地震後、急いで二階の私の家に向かった。両親とも仕事で家には誰もいない。焦りとともに扉を開けたら、何ら変わりのない景色がそこには続いていた。変化といえば、棚の上のハンドクリームが倒れているだけだった。同じ場所でも、高さによってこれほどに被害が変わるのだと気づかされた。家族も無事に全員戻ってきた。

 だから、私は震災によって大した被害を受けたわけではない。そんな私がこの震災について語っていいのかは、いまだに分からない。しかし要因は違えど、今の学生たちが直面している「突然の別れ」を見ていると、私は九年前のことを思い出さずにはいられない。

 震災後、土日を挟んだため、翌週の月曜から学校はあった。友だちはみな無事だったし、全員でこの週の金曜の卒業式を迎えられることを嬉しく思った。けれども、確かにあの日を境に、学校の空気が変わった。

 私は、このときの空気を「灰色」だと思い出す。「このまま卒業に突入して、日常を終わらせていいのだろうか」、少なくとも私はそう思った。

 桜色の空の先に、卒業もままならないような人たちがいる中で、私は普通に中学生になろうとしている。身の回りに広がる桃色の道と、ニュースの中で映し出された瓦礫の灰色とのコントラストが、あまりにも目に焼き付いている。

 卒業式も、在校生として参列していた一年前とは違う、少しだけ重い空気があった。式中では黙祷も行われた。目をつむりながら、何を頭の中で思い浮かべていいか、わからなかった。頭の中は、灰色でからっぽだった。

 震災という出来事の重みを受け止めるには、小学六年生はあまりに中途半端な年齢だった。もう少し幼かったら、素直に恐怖を口に出せたかもしれない。もう少し大人だったら、相応しい立ち振る舞いができたのかもしれない。当時の小学六年生は、おちゃらけたノリでいけばいいのか、気丈に振る舞ったほうがいいのか、皆目見当がつかなかった。

 なんとなくふわふわした非日常を、灰色でからっぽの頭で精一杯に受け止める。そんな日々だった。「重い出来事というのは分かるし、茶化してはいけないのも分かる。でも、どういう感情を出せばいいのか、わからない」

 春休みに仲良しの友だちとディズニーランドに行く予定だった。友だちとの初めての遠出に浮足立っていた。そんな非日常へのワクワクは、さらに大きな非日常にさらわれていった。震災による液状化現象で、東京ディズニーランドは休園になった。当時の私にとって、ディズニーランドに行くことは一種の通過儀礼であった。その通過儀礼は突然失われて、シームレスに中学生へと駒を進めていった。計画停電の影響で、電気がついていない教室で入学前説明会が行われていたことを、なぜか強く覚えている。

 私の日常は、非日常を内包したまま、変わらずに進んでいった。友だちと遠出するという通過儀礼は失われ、電気はたまにつかない。それでも、縫い目なくスムーズに中学生になった。

 今思い返してみれば、私たちの日常の裏で誰かが、引き裂かれた日常を懸命に縫い合わせようと奔走していたことが分かる。縫い目がないように見えるのは、縫い目をなくそうと努力したからだ。

 日常を営んでいくことは、必ず痛みを伴う。生活を糸で繋いでいくときに、針の先で指をケガしたり、突然縫っていたものが引き裂かれたりする。滞りだらけの日常に、襲いかかる非常事態。失わないと気づけないこと。今日も明日も明後日も、同じペースでは進まない。

 中学が別になった友人の一人とは、あの少しだけふわふわした気持ちで迎えた卒業式以来、一度も会っていない。本当はディズニーランドで目いっぱい遊んでお別れするはずだったのに、別れまでのBPMがいきなり速くなった。日常は、針飛びしたレコードみたいだ。

 少しだけ先に設定していた別れの日が、ある日突然そこに立っていることがある。「少し、早い」別れは、少しだけ早いからこそ、深く胸の中に残る。時には影を落とす。未来にクライマックスがあるかは、誰にも分からない。実はもう、別れというクライマックスは終わっている。そういうこともある。

 遠近法は、絵画の中だけの話ではないのだと思う。少しだけ先にある未来を小さく描くことや、今、自分が直面している出来事を画面いっぱいに映すのは、心理的に当たり前のことなのかもしれない。遠くにあるものは、小さく見えるけれど、たしかにそこに”ある”。このことを忘れていると、未来にあったはずの出来事が急にやってきたとき、その大きさに打ちのめされてしまう。

 ”向こう”にあったはずの別れを、休校によっていつの間にか通り過ぎてしまったこと。小さな子どもは自分の無力感を知るだろう。こうした小さな傷を抱えながら、私たちは成長していく。たまに針飛びしながら、紡いでいく向きを変えながら、続けられていく日常は、不格好だけど、美しいのだと思う。