ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

ハッシュタグと共犯者

朝ドラを見ているのだが、流石に伝統ある朝ドラと言うべきか、ツイッター上では番組に対する感想が多く飛び交っていて賛否両論が巻き起こることも多い。毎日少しずつストーリーが進むという放映形式も手伝って、朝ドラはたくさんの人々の日常の中にすっかり溶け込んでいるなと感じる。僕自身も先週の悲しい展開によって若干日常生活にも支障を来すくらい落ち込んでしまったものだ。

 

そして、いつから始まったのかは分からないが、朝ドラには「アンチ用」のハッシュタグがある。朝ドラのタイトルを少しもじったものであることがほとんどで、そのハッシュタグツイッターを検索すると、脚本の粗や出演者に対する不平不満が陳列されている様を見ることが出来る。

この事実だけでも割と地獄を感じるが、「ファンとアンチの住み分けができているからいいんじゃねえの」という意見もあると思う。たしかに、純粋にドラマを楽しんでいるファンに向けて誹謗中傷を投げかけるのは論外であり、そうした事態を未然に防いでいるという面はある。ただ、住み分けしているからこそ起きる問題もあって、ツイッターという場はその問題を特に深刻化させやすい環境であるように感じる。

 

ファンとアンチの間で一度区分けされたら、アンチの側は「何を言っても許されるのだ」と感じるようになり、そこは「無法地帯」と化す。アンチのハッシュタグを見てみれば分かるが、批判と悪口を一緒くたにしている人が非常に多く、特に出演者に対するただの誹謗中傷でしかないものも多く見られる。検索でしょっちゅう出てくるアカウントのツイートを見ると、毎日朝ドラへの悪口に尋常じゃないくらいのツイート数を割いているものもあって、一体その執念はどこからやってくるのだろうか、と率直に言って恐怖を感じるものもある。逆にもうめちゃくちゃこのドラマのファンなんじゃないか、と理解しないと説明がつかないくらいの執念。

 

先述した通り、日常に浸透している朝ドラは特にハッシュタグ地獄の標的になりやすいのである。ハッシュタグという機能は時にユーザー間の分断を引き起こし、その分断が各人の視野を狭め、無自覚の共犯者を増やしていく。

少し立ち止まって冷静に考えればあまり大声で言うのは憚られるような言葉を、溝が広がったタイムラインでは平気で叫ぶことが出来る。俳優や女優への悪口が、どうして本人に届くわけがないと高を括れるのか、私には不思議で仕方ない。勿論わざとやってるのだとしたらよりタチが悪い。

 

もともと、ツイッターで繰り広げられている世界はめちゃくちゃ狭い世界なのだということは常に意識しておく必要がある。気に入らなければミュートもブロックもできるわけで、自分用にカスタマイズされた世界だということを忘れてはいけない。居心地が良いからって胡座をかける場所ではないということを忘れすぎではなかろうか。

 

所詮独り言の溜まり場ではあるものの、独り言にも収まるべくして収まる場所があるわけで、それを取り違えてはいけない。取り留めもない日常の戯言も、社会への物申しも、実況中継も、逆張りも、惚気も、流行りのものを叩くのも、自己顕示を叩くのも、飼い慣らしきれない自己顕示欲の産物であり、ユーザーは産み落とされた大量の断片的なテキストと上手く折り合いをつけながら、自分のスタンスを絶えず問い続けなければならない。「自分の言葉」を残し続けているという意識を持たなければならない。ハッシュタグの濁流の中で何を言ってもバレやしないよ、という「自分の言葉」への小さな怠慢が、取り返しのつかない事態への引き金となっている。

 

みんなもやっているからOKではない。その「みんな」がどれだけ限られた人たちで構成されているのかを、ハッシュタグの世界で問い直さなければ、共犯者は増えていく一方である。

自分の攻撃性にもっと自覚を持てばいいのにと思うばかりだが、ツイッターはそれを目隠ししやすいのであろう。どうすればいいのやら。とりあえず、ツイートはあんたの呼吸じゃないよとだけ言っておきたい。