ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

例外

こんなに穏やかな時間を

あなたと過ごすのは

何年振りでしょうか

 

落とさぬように抱いた

小さくなったあなたの体

 

真に分け隔てなく

誰しもが

変わらぬ法則によります

急がずとも必ず

 

全てが例外なく

図らず図らず

今にも終わります

波が反っては消える

 

宇多田ヒカル「夕凪」

 

それでも自分の中ではあまりにも例外だった出来事から一年が経つ。当たり前に続くと思っていた日々は全く当たり前ではなく、自分よりも小さくなった体を抱いて、呆然と6月の空気の中に佇んでいた。

あの出来事から、人生のBPMを意図的に落としている。先を見据えて動き出している人たちを見ると、彼らが当然前提としていることが私にはない、という事実ばかりが突きつけられる。

考えることが増えた。突然何のやる気もしなくなることも増えた。知らないよそんなこと、と思いながらも、のらりくらりとやっていくのに長けていた私は、あまり喪失感を表面には出さずに過ごすことが出来ていたと思う。

あれは事故だったけど、生前は社長に殺されていたも同然だ。精神的に衰弱している様を見て、誰が社会で働きたいと思うだろうか。

そうは言っても、将来を決めていかなければならない岐路に立たされて、弱っていることが許されない時が来てしまった。本当はもっとゆっくりと色々なことを考えていたかった。それでも、とりあえず生き延びるためには、上手にまともなフリをし続けなければならない。

酒の飲み過ぎも死因の一つだ。だから絶対に呑んだくれにはならないと決めていた。なのに、酒を飲んで失ってしまった何かや、ごまかし続けてきたことを思うと、自分の浅ましさが嫌になってくる。

自己肯定感は内省的であるかどうかに左右される。大好きな誰かのために時間を費やしている時は考えなくてもいいことを、どうでもいいことに時間を割かなければならないときや、ひとりでいるときに考えてしまう。そういうときはどんどんと自己肯定感が沈殿していく。

だから、何もしないようにはしないようにしてるのかもしれない。きっと、順応的な社会人のフリをして生きていくのだろう。それでも、心の中では忘れたくないことを、時折真っ白な紙に傷をつけるように文章を書いていく。

今後の人生は、うれしい例外ばかりが続いてほしいなと思っている。それは天国に旅立った人に対しても同じ。

全てが例外なく終わる生命も、関係も、愛おしくあれ。