ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

僕たちの秘密のことば重ねてさ、そして二人の辞書を編もうね

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その二人でしか通じない言葉は、とても素敵だと思う。

誰も理解できないような言葉を交わして、街の隅っこで小さく笑っているような二人はとても良い。これこそがロマンチックだと思う。場所は夜景の映えるレストランでも、どこにでもあるチェーン店でも、公園のベンチでも、自宅でも何だって良い。誰にも見せていない二人の会話こそがロマンだ。いつだってそうだ。

 

フードコートでご飯を食べようとステーキ屋に並んでいた時、私の前にはおばあさんが並んでいた。注文はたどたどしかったが、250gのサーロインステーキを頼んでいた。おばあさんがこれだけの量の肉を食べるのか?と内心すごく気になっていた。

私も注文が終わって席に着くと、隣にはさっき注文していたおばあさんと、その夫らしき男性が座っていた。おばあさんは、自分が頼んだステーキをおじいさんにあげていた。やっぱり食べきれなかったようで、ステーキを頬張るおじいさんを見ながらニッコリと笑っていた。はじめから自分が食べきれないということを分かっていて、夫と二人でシェアしようと注文していたのだ。なんだかとても可愛い人だなと、私は思った。

 

二人だけの時間の美しさはこういうところにある。お洒落なパスタや綺麗な色をした飲み物に美しさなどはない。そういったものには目もくれずに、フードコートのありふれた料理を分け合うだけで笑っているような二人の時間こそが美しい。そして、こういった瞬間は決してカメラで縁取られることのない、だからこそ特別な瞬間だ。

SNSが広く浸透して、誰もが自分の日常を気軽に公開できるようになった。どこが日常なんですか、というくらいキラキラした写真が画面を覆い尽くしているのを見たとき、自分の手が握っている機械のことを少しだけ恨んだ。日常を着飾らないといけないという無言の圧力なんて、消えてしまえばいいのにと思った。

友達とまさに稀有な体験をしている時、これは到底自分たちだけが見ているのはもったいないよ、という動機で全世界にシェアすることは、とても素敵だと思うし、単純にこちらも興味が湧くので好きだ。

でも、大切な人が自分だけに向けているかもしれない表情や言葉や贈り物を全世界に向けて発信することは、私には出来ないな、と思う。二人だけの閉じられた世界をオープンにしたら、一体二人はどこに安住の地があるのだろうか。フードコートでちゃんと笑っていられるのだろうか。

 

別にそういった行為を否定するつもりはない。いわゆる「リア充アピール」を取り出して、「他人に評価されたいばかりで、自分の人生を生きていないんだよな」って毒付いている人の方がよっぽど、人の価値観を否定して攻撃することで自分の存在を知らしめる、他人に乗っかりまくりな生き方だなと思う。二人の素敵なひとときを見せることで誰かが喜んでくれるのなら、どんどんと公開すればいいと思うけど、でも、自分達のパーソナルスペースはある程度あった方がきっと楽しい。

他人同士であった二人が意気投合して、一緒に過ごすようになって、だんだん二人にしか分からない瞬間がたくさん増えていくのって、とても素敵で何物にも代え難くて、最高なことだと思う。

 

窓の外に見えている縁取られた空よりも、隣で寝ている大切な人が見ている夢を一緒に見たくないですか。だって誰だって見られるものよりも自分しか見られないものが沢山ある方が、人生を彩っている気がするから。

くだらない瞬間は最高だ。決してどこのカメラも撮ってくれないような瞬間や、理論の中に組み込まれない例外だらけの毎日、日々綴られる文章の隙間からこぼれ落ちたようなひとときがたくさん砂時計のように蓄積しているから、あの老夫婦のフードコートでの一瞬が、とても尊いものに写っていたのだろう。

 

どこにも載せられないGWだったって大いに結構。誰にも見せられないものって最高だ。

別にそれは今、誰かと作らなくたっていい。過去の思い出に浸ったり自分だけの世界で楽しんだりしているのも最高だ。結局なにをしていたって、いつかのどこかの誰かと繋がっているのだから。この世界に息をしている以上、誰かと繋がっているものだ。繋がらざるを得ないのだ。

「繋がっていないといけないのは自分の人生を生きていない」なんて批判はナンセンス。「誰かと繋がっていたい思うような自分」の人生を生きている。優劣なんてどこにあるのだろう。他人によく思われることが自分本位に生きるより心地いい人だっているのだから。

 

死守すべきはどこにも公開できない素敵な時間。それ以外は何もない。ひとはそれを「日常」と呼んでいるのかもしれない。「日常は奇跡の連続だ」というのは私の好きなセリフだが、別に奇跡だからって写真に残しておく必要はないのだ。そのために思い出は頭の中に仕舞われるのだから。

生活はぐるぐる回っていくのだから、少しくらいSNSから雲隠れしていたってバレはしないのだから、好きなだけ寝て好きなだけ散歩してよう、せっかく外は晴れているし。

 

「なんだ寝てたの?今日は晴れてるよ」なんて君の声まだ聞こえそう

記憶の中だけに住む人だけど

今も私をそっと包んでる

(廻り道/GARNET CROW