ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

横顔がとても素敵だったこと

若い人の死に、耐えられない。

今年はなんだか若い人の訃報に接することが多い気がする。突然、若い天才たちの命が奪われていく。この人が生きていたら、どれだけの名作が世に放たれていただろうかと考えると、やりきれなくなる。

天才は早死にして伝説になるという風潮が、ないことはない。他の人より何倍も速く生きていった人は、ゴールを迎えるのも早いのかもしれない。

でもやっぱり生きていて欲しかった。

 

あるバンドを好きになったとき、ボーカルはもうこの世にいなかった。直接彼の死を目の当たりにしたわけじゃない。一度も生前の彼を見たわけではない。それでも、やっぱり生きていて欲しかった。

そのバンドは、フジファブリックというバンドだ。ボーカルの志村正彦は、人気絶頂だった2009年のクリスマスイブに突然この世を去った。最近彼が亡くなる直前に書いた「Bye Bye」という曲ばかり聴いている。この曲は女性ボーカルデュオのPUFFYに提供した曲である。志村が亡くなった後、彼女たちが志村との思い出を語った後にこの曲を歌う動画を何度も見ている。

思い出を語っている時はすごくおちゃらけていて、志村のことをいじり倒していて、まるで普通に志村が生きているかのような口ぶりだ。

しかし、演奏が始まったらこの曲はレクイエムに変わる。おちゃらけていた彼女たちは一変、一つ一つの言葉を丁寧に歌い上げている。この姿にグッときてしまった。

 

若い人の死にやりきれなくなるのは、平穏無事に続いていた日常が突然断ち切れることの恐ろしさに、想いを巡らさずにはいられないからだ。幸せは決して永遠なものではないと、嫌でも思わされてしまうからだ。不条理は音もなく押し寄せる。

メリーゴーランドのような人生から、ある日誰かがぽっかりと抜けてしまっても、ぐるぐると木馬は回り続ける。残された人は、その人がいないという事実を突きつけられながら、それでも止まらずにぐるぐると回っていく日常を過ごしていかなければならない。

もちろん、乗っていた馬にその人が帰ってくることはない。だから私たちは思い出を語り、その人をずっと息づかせることしかできない。

 

志村が遺した「Bye Bye」は切ないラブソングになっている。だが、歌詞の一つ一つを見ていくと、まるで星になった志村自身に向けられたような言葉も見られる。

君が居なくても こちらは元気でいられるよ

言い聞かせていても 涙が出るよ

君の横顔が とても素敵だったことはもう

忘れたつもりでも 涙が出るよ

君の選んだ人は とても優しい人なんだろな

遠くに行っても そう どうか元気で

忘れたくて仕方のない悲しいことも、どうか忘れないでいたい。

その人が、思い出の中で生きていくために。

 

この記事の存在に気づいた人は、俺なんぞのブログをチェックしている相当な物好きだから、全然まとまってなくてぐしゃぐしゃに書いたこの記事のこともきっと許してくれると思ってる。