ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

シーソーの向こう側

何か好きなものを語るとき。「○○だから良い」と一緒に何かとの比較があった場合、本当に好きなのかな?と思ってしまう。本当に好きならば、比較なんていらなくて、ただそれだけで好きだと思えるはずで、「好きなものは好き!」と言えるはずで。

好きなものを際立たせるための、誰かや何かを否定する言葉なんて、汚い言葉だ。何かを下げないともう片方を上げられないのは、シーソーだけでいいはずだ。

比較された方の気持ちや、悲しみを考えられないような、その程度の「好き」なら、滅んでしまえばいいと思う。

好きなものは、自分だけの言葉で好きと言い続けたい。誰かや何かと比べて初めて浮かび上がってくる「好き」なんて、受け取ったって全然嬉しくない。

自分がその音楽や小説のジャンルを好きならば、他のジャンルを貶す必要はない。

自分の好きなタイプがあるのなら、わざわざ他の人と比較しなくたっていい。

比較する相手がいなくなったとき、どんな言葉を尽くして好きと言えるのだろうか。比較好きの人にはそのような語彙を持ち合わせている気がしないな。

言葉は、丁寧でありたい。帰国早々思ったことだ。