ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

シンギュラリティ

正月は大体晴れている気がするというツイッターの投稿を読んで、たしかにその通りだよなとWikipediaの「特異日」を読んでみると、別に正月は特異日ではなかった。気のせいだったらしい。特異日とは、前後の日と比べて偶然とは思えない程の高い確率で特定の気象状態が現れる日のことで、しっかりとしたデータに基づいて定められている。こういった概念が世界的に存在することを嬉しく思う。偶然を偶然として片付けないその姿勢は、僕が生きていく上でまさに心がけていることでもあるからだ。

 

やけに同じ日に友達の誕生日が集中していることがある。日記やツイートを読み返してみると、ちょうど一年前に全く同じ曲を聴いていたりする。全く同じものを読んでいることもある。たった一日を舞台にした物語を現実世界のちょうどその日に読んでいたこともある。

偶然は、偶然という響きよりも遥かに高い頻度で訪れる。もはやそれは偶然と呼べないような偶然が、僕らの上を飛び交っている。

 

たまたま同じ時代に生まれて同じ場所に集まった人たちとの間で、僕たちはたくさんの思い出を作って、たくさんの世界を知る。星座みたいに近くに居合わせた者同士が結ばれているだけ。それだけなのに、こんなに幸せな気持ちを味わえるなんて、本当に世界は上手くできてるなって思う。

いつか自分と一番相性がいい人を世界中から探し出してくれるシステムが出来たとして、それを使ってみたいだろうか。一番相性がいい人が誰なのか気になるような気もするが、見たところで僕の周りの人が一番いいなって思うような気がする。近くに散りばめられた光である僕たちが出会って、星座に込められた物語のようにたくさんの思い出が作られる。

 

偶然とは言えないほど僕の大好きな人が近くにいてくれる。そう考えると毎日が特異日なのかもしれない、なんて思う。

今年も、たくさんの大切な偶然を、一緒に繰り返していけたらなって思います。