ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

1998→

大学二年生になって印象に残っているのは、後輩たちに2000年生まれが紛れ込んでいたことだ。つまり世の中の高校生は大部分が2000年以降に生まれていることになる。全国の高校では1○○○年生まれは絶滅危惧種だし、小中学校では既に絶滅した。

昨年、世界で最後の1800年代の方がご逝去されてこの地球上にはもう1800年代生まれの人が一人もいないというニュースを聞いたときも、似たような感覚を抱いた。

 

私は1998年の年末にこの世界に転がり出た。当初は1999年の七草粥を食べている頃に生まれる予定だったが早く世界に産み落とされたいよ〜とフライングしたらしい。寅年と卯年の境目に生まれているので寅と卯のブレンドみたいな性格をしていると自称していたが、誰にも納得されなかったためやがて黙ることにした。

末尾の末尾に生まれているのは確かだが、それでも1000年代生まれという自負が私の中にはあるみたいだ。生年の頭の一桁が1か2かというのはかなり大きな違いに思えてくるのだ。例えるなら、磯野貴理子磯野貴理くらい違う。

なにより、1998という字面が格好いい。若干シンメトリー的な要素を持つ文字列にウキウキする。しかも平成10年というキリの良さも手伝って、勝手に恵まれた年だと思っている。1998に生まれた自分が好きだ。てかこの辺の年はみんな恵まれている。1999のゾロ目も素晴らしいし、2000は言わずもがな。

 

塾講師のバイトをしていて、生徒のプロフィールを見ることがあるのだが、2008年生まれという記述に一瞬固まってしまう。なんだか別世界の人に感じてしまうのだ。たった10年の違いなのだが、とてつもなく差があるように感じる。

自分が学んできたことを活かして生徒に教えている。今こうして働いている私も、色んな人たちから色んなことを教わってきた。いつか私たち1000年代生まれもこの地球から全員いなくなってしまう。受け継いできた様々な記憶を、できるだけ伝えていきたいなんて大それたことを考えている。