ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

普通であることと特別ハラスメントについて

人と違うことをするのが是という風潮がある。

周りに例が見られないことをやり遂げるのは労力が必要だし、やらないよりも何かをやった方が得るものが大きいということも分かる。応援されるものでもある。

でも別にそれは偉いことではない。ましてや人を見下す材料に使うものではないと思う。何かをやろうとするなら、本当に周りの声がどうでもいいなら、普通でありたくはない自分の心の声は閉まっておいて、静かにどでかいことをすればいいと思う。みんなとは違うことを強い言葉を使って喧伝すればするほど、品がなくなるんじゃないの。「普通」を見下してないつもりだとしても、そう誤解されるような書き方をしていたら批判を受けても仕方ない。考え抜いて安定した大企業を選ぶことを「謎のプライド」、「微妙な選択」なんて呼んではいけないと思う。

人生を歩んでいるのは自分だけではなくて、誰もがそれぞれの人生を真剣に生きている。一歩踏み出す行動そのものに対しての悪口と、誰かの真剣な選択を軽んじる言動への批判を、一緒くたにしてないか。

「特別」に特権なんてないよ。普通であることも普通じゃないことも同じくらい大変で、そこに優劣はない。前も書いたことだけど、誰もが自分の物語の主人公として動いている。(主人公 - ノートの端っこ、ひこうき雲)

 

私は誰かと同じように生きていくことに心地よさを感じる人間なので、何か成果を出すことよりも、自分の言葉を聞いて誰がどう思うかについて思いを馳せられることに美しさを感じる。だからその暴力的な一連のツイートに対して余計に傷ついて、悲しくなってしまった部分もあるのだと思う。

このように傷ついたのは今回が初めてではなくて、「誰かとアイデアが被ることを恥だと思え」と言うお偉いさんの脅迫もかなり怖かった。誰かと発想が同じになることの何が恥なのか全く理解できなくて、ただただ不気味な怖さがあった。

こんな感じの言動を私は「特別ハラスメント」と勝手に呼んでいるが、型にはまらない才能のある方々は、どうかその才能を自分の得意なところにだけ活かしてください。不特定多数の人に、特に型にはまることを好んで選択している人に、むやみに押し付けたり撒き散らしたりしないでください。お願いします。

そしてもちろん、出る杭は打たれる的な「普通ハラスメント」もあってはいけない。繰り返しになるが、普通も普通じゃないことも同じくらい大変で、そこに優劣はない。そう思う。価値観を語るときは、誰かの生き方や価値観に差しむけるのではなく、常に「私」を主語にし続けて大きな主語を避けて語ることを忘れないようにしたい。