ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

ベストアルバムから落選すること

2時間目が始まる廊下で自分の好きな語感の言葉を教えてくれた人は今、華やかな舞台に立っている。3時間目が始まるロッカーの中を少し整理しながら、ロッカーの汚さと部屋の汚さって関係あるのかね、こんな人間性だと思われたくはないものだねと話した人は今も、部屋汚ねえなと私に言われっぱなしである。4時間目が始まる教室で早弁をしながら私と好きな90年代の音楽について話していた人は今、スポーツの世界に熱心に打ち込んでいる。

仮に私の人生のベストアルバムを誰かに作ってもらうとしたら間違いなく落選しそうな瞬間を、できるだけ私自身が思い出してあげられることが、今まで過ごしてきた過去の時間への最大の恩返しだと思っている。

私と今でも付き合いを続けてくれる人とは何も、インスタグラムで切り取ってこられるような思い出ばかりを積み重ねてきたわけじゃない。写真に撮られなかった瞬間の方がよっぽど大事である。誰かに公開した瞬間を通じてしかそのときのことを思い出せない人が増えているのだとしたら、会議中に飴を舐めることよりもよっぽど問題である。

私は記憶力がさほどないから、話したことをどんどん忘れてしまう。でもたまに、頭の中から焼き付いて離れない誰かの言葉がある。それは記憶を超えたところにある、その人との掛け替えのない瞬間として今後も私の中に残り続ける。

だから自分を傷つけてきた人とは、その傷を頭の中に焼き付けたくないので、できるだけ思い出を作りたくなくなる。これは当然だ。生存本能だ。

思い出は、アルバムに飾られるような瞬間から外れたところにある。フレームの外でもちゃんと自分と向き合ってくれる人しかもう、相手にしなくていい。好きにならなくていい。

「好きとは何か」とたまにふざけてなのかマジなのか分からないが聞かれることがあるので、一応の解答を用意しておくと、あの空に浮かんでいる雲の形が何だと思うかについて延々と聞いていたいなと思う人だ、というのが私の現段階の見解である。こんな瞬間はどう考えてもベストアルバムから落選すると思うが、私が相手と一緒にいたいと思っているのが見え見えな瞬間だ。誰が見知らぬ奴の空想を聞きたいだろうか。本当に好きじゃないとその人の空想を何時間も聞きたくはないだろう。

まあこの解答、明日には変わってると思うけど。