ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

朝日の香り

よく陽射しが差し込んだ清々しい朝、無駄に意識の高かった昨夜の僕がセットしたアラームが部屋中に鳴る。鼓膜に「夢ならばどれほど良かったでしょう」というフレーズが流れ込んでくる。なぜ米津玄師の「Lemon」を目覚ましソングに選定したのか、昨夜の僕は気が狂っていたのか、と思いながらLemonよりもむしろ携帯のVibrationがうるさくてアラームを止める。当然僕は起き上がらないまま手探りでスマホを探す。

しかし少し頭を働かせてみると今日が休日だと気付いた。起きる必要はなんもない。これでもかというくらいの安堵の表情を浮かべながら二度寝する、この瞬間の感覚が好きすぎる。そのためだけに睡眠を貪っている気がする。睡眠の魅力は一度目にあるのではなく、こうした二度目の瞬間にあるのだろう。カレーが二日目に美味しくなるのと同じ理論だ。違うと思う。

せっかくの休日だし、ちゃんと早起きして色々やってやろう、という昨夜の僕の輝かしい決意はあっさり瓦解する。そもそも休日は休む日と書くのだから寝ないと休日に失礼だと、意味のわからないことを言いながらあっさりと夢の世界に帰還する。

有村架純と大学のキャンパス内を一緒に歩き回って、ベンチでお弁当を食べて、もうすぐ告白じゃねーのこれって時に起きた日は、一刻も早くその世界に帰還しなければと、野比のび太を超えるスピードで夢の世界に駆け戻った。昨今の音楽シーンを席巻する米津玄師でさえ、僕の睡眠欲を打破することはできなかった。僕は米津玄師を超えた。いや正確には有村架純が僕を超えていった。結局夢の世界に戻ってきた時には有村架純はそこには居なくて、代わりに僕の高校時代の先輩がひたすら炎天下のグラウンドで瓦割りをしていた。

そんなこんなで、朝の僕は昨夜の自分をあっさり裏切ってしまう。早起きは三文の徳、色々やってくれることを期待しているぞ明日の俺!と昨夜の僕から重役を託された朝の僕はあっさりと有村架純に引きずられてしまう。

 

自慢ではないが、これでも僕は寝付きと目覚めは良い方だと自負している。友達と旅館で泊まった日の朝、まるで僕が友達の二倍の速さで生き急いでいるのではないかと錯覚するくらい、少なくとも僕の周りの人間たちは僕より目覚めが悪い。何回揺さぶってもケツを叩いても耳に細くしたティッシュを入れても起きやしない。こいつら空から福沢諭吉が降ってきても起きないんじゃねーのってくらい寝てる。今なら俺が諭吉を独り占めできるぜ。ええじゃないか。

そんな友達の中でもトップクラスに目覚めの悪い奴がいる。悪い僕は少しこいつで遊んでみようと思ったのである。他人の睡眠を自分の知的好奇心を満たすために利用させてもらったこともある。

とりあえずまずは彼の瞼を指で開いてみた。ばっちり彼の黒い瞳が僕の悪い顔を捉えているはずだが起きない。一種の変顔である彼の顔に笑いが抑えられなくなった。彼はこんなツラをしながらどんな夢を見ているのだろう。

次に手元にあった苺を彼の眉間にそっと置いた。眉間に苺が鎮座している彼の寝顔は芸術の域に達しており、このまま鋳造してモニュメントとして売り出せそうな勢いだった。主人公が丸善檸檬を置いていく小説を思い出した。人間は水滴を自分の額に等間隔で落とされ続けるといずれ発狂するという話があるが、彼の眉間に染み渡る苺の水分は彼を起こすには至らなかった。

もう全身にクリームでも塗りたくってショートケーキにでもしてやろうと思ったが流石にコンプライアンス的にどうなのと理性が働き、シンプルに起こすことにした。まあなかなか起きないんだけど。

結局彼が自然に起きてくるのを待つ結果になった。休日の昼下がり、起きてきた彼の眉間はキラキラと光を反射していた。

 

昔の僕の将来の夢は「優雅に起きること」だった。お金持ちの朝は召し使いが運んでくる紅茶の香りで起きているようなイメージがあったから、僕もそんなことをして許されるような人間になりたいと思った。珈琲は苦手だから紅茶だった。

しかし家には召し使いがいないため、紅茶の香りを自分で発生させないといけない。これが難問だったのである。結局、起きてから自分で台所に向かって紅茶を淹れることしか方法がなかった。レモンを表面に浮かべることもできない。

紅茶で起きるのは諦めて、もっと優雅に起きるために、心が穏やかになる音楽をかけることにした。よし、米津玄師のあのバラードにしよっと。