ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

バウムクーヘン

いや、俺はそう思わないけどな。うーん、そうかなー。なんかズレてる気がするな。えー?それは何か違くない?

 

もうこの画面閉じたくなりませんか?俺はなる。気分が悪くなったらいつでも退室してくださいね。

 

政治に物申しとかしないタチだけど、これだけは言わせてほしい。いい加減安倍政権は会話の中で否定から入る行為を有罪にしてほしい。

 

特別最近何かあったわけではないです。数年間思っていたことを書いてみます。

 

なんか20歳前後の時だけは、積極的であることが是とされる風潮が押し寄せてきて、否定を恐れずに発言できる人が優れていて、何も発言できない俺みたいな人間は「ダメ」の烙印を押される。今までは慎ましくあることが良いって言われてたのに。手のひらくるくる返し。どうすりゃいいっていうんだい。

 

文章を書くのは好きだけど、まとまった話を人前ですることはめっちゃくちゃ苦手だ。ネズミを嫌いな人がネズミを嫌いなくらい、ジェットコースターが苦手な人がジェットコースターを苦手なくらい、俺は人前で話すことが苦手だ。

 

なんで苦手かって、顔面と口調で即座にフィードバックを受けるからである。マズイことを言ったなっていうのが場の雰囲気で一瞬で感じられる。文章は良くも悪くも媒介するものがあるからフィードバックが一歩遅れる。精神状態がよろしい時だけ見ることも可能である。悦に入ってられるうちは入ってられるから、自尊心を満たすのに文章は最適なツールだ。

 

そんな人間に対していかにも否定的な様相を呈したフィードバックを差し向けることは殺人に匹敵する行為なのだということを、有識者はもっと真剣に認識していただきたい。

でもきっとこういう法律を作れる人は否定され慣れているから、俺みたいな人の気持ちなんてわかるはずもないんだろうなあ。

 

俺という人間が意を決して口を開いて意見を述べたことをまず一回褒めろ。いきなり否定しやがったらもう二度と喋んないからな。数年間そういう気持ちである。

 

大学一年の春休みに通っていた教習所で、絶対一回褒めポイントを挟んでから改善点を指摘してくれる指導員が居た。S字クランクでハンドルを切るタイミングは神がかっていたが、その後のハンドルさばきがあと一歩だったらしく、どこでハンドルを戻すべきか一つ一つ丁寧に教えてくれた。必ず褒めた上でさらなる改善点を提示してくれた。何より声が明瞭で指示が聞き取りやすい。難聴を見捨てていない。

俺は彼に片思いをした。人をこんなに爆速で好きになったのは久しぶりのことだった。彼のような師になりたいと思った。彼は学科も担当していたため技能教習で一緒になったのは結局その一回きりだった。指導員指名システムちゃんと機能してくれや。でも彼は俺のことを覚えていてくれていて、所内で出会った時はいつの間に第二段階に入った俺の技能教習の進みの速さを褒めてくれた。冬の朝の寒空の下、キャンセル待ちを駆使しながら教習所に通いつめた俺の頑張りを、彼の一言が全肯定してくれたようだった。卒業時の、よかったと思う指導員の名前を書くアンケート用紙は彼へのファンレターに変わった。

彼の姿は俺の目に輝いて映った。それからはバイトで塾講師をしているときも出来るだけ生徒のことを褒めるように意識しはじめた。不正解だらけでも、ちゃんと解いてくれたことをまず褒めるようにした。解いてくれたその姿勢こそが正解なのだと。

 

否定から入る人間が仮に教鞭を取った場合、100%技能教習で指導拒否を生徒の誰かに食らうことになるだろう。これは偏見ではない。否定から入る行為はそれだけ不快感を与えているということを一番如実に表しているのが、教えるという行為だと思う。自分が頑張ってもなかなかできないことを頑張ってやってるのに、返ってくるのが否定だけだなんて、地獄以外の何物でもない。

 

こんなことを言うと、甘ったれた人間だ、批判も受け入れてこそ成長できるという手垢のついた野次が恥ずかしげもなく飛んできそうだが、何度も言われているように、批判と否定は別物である。俺が嫌だと言っているのはいきなり否定全開態勢で来られることである。人格をまるごと否定された気持ちになる。そんな泣きそうになるほどの理不尽に強くなれ、なんて無茶も程々にしてほしい。

 

一回肯定をクッションした上で与えられる批判なら、俺だって素直に受け入れられる。緩衝材は一言入れるだけでいいのに、それをサボる人がたまにいるのだ。そういう人は他の人よりも皿を多く割っているだろう。それくらいのバチが当たればいい。

 

結局、否定されるのが怖い。当たり前です。

 

否定をされないように努めて生きてきた。褒めて伸びるタイプの真骨頂が私です。褒めのクッションを挟むだけでみんなごきげんに生きることができるのです。なんなら今日も無事に意見を言えていること自体から褒めてください。生きているだけで褒めてください。それだけで、未然に防げる衝突がいくつもあると私は思うのです。

 

扉は開けているから、甘いと思うならいつでも退室してくださいね。