ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

未来のあなたと交差点

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自分の友達と別の友達が実は繋がっていた、というのはよくある話である。同じ高校の出身だったり、地元が同じだったり、今まで私が聞いた話で一番すごいと思ったのは、自分と同じ苗字だと思っていた友達が幼少期に会ったっきりの親戚だったというものもある。

 

生まれたばかりの頃は自分のごく近辺に居る人としか線で繋がっていなかったのに、時を重ねていくにつれてどんどん線の繋がりは増えていき、蜘蛛の巣のように複雑に入り組んだ相関図が作られていく。たまに糸は自然消滅したり不意に切れたり修復したりしながら、自分の知らない人の数は少なくなっていく。それは自分から伸びている糸ばかりではなく、自分と繋がっている人同士の間に結ばれる糸も含まれる。むしろその糸の方が圧倒的に多い。今まで見えていなかったこうした糸の存在に気づくと、世界は狭いんだなと思う。

 

でも、出会う人々のほとんどは偶然出会ったのだ。

 

学校のクラスというものを電車に喩えた文章をどこかで見たことがある。同じ教室で同じ方向を向いて授業を受けていたクラスメイト達は、たまたま同じ電車に乗り合わせた乗客のようなもので、卒業という終点に着いた人々はバラバラになる。終点に着いてしまったら、もう自分から会おうと思わない限り、彼らに会うことはなくなる。

 

私たちの間で起こるほとんどのドラマは、たまたま出会っただけの人々で完結するもので、地球規模で考えるとほんの一握りの人々がもたらすドラマに私たちは心を躍らせ、沈み、翻弄される。学校での交友関係に苦しんでいる子どもに対して、他にも世界があるんだからと言ってもどうしようもなく、彼らにとっては学校が世界のすべてなのだとよく言われるように、私にとっては、周りにいる人が世界のすべてだと何度も感じている。

 

大学で日々すれ違う、私の世界にいない沢山の人々の波に揉まれていると世界は広いのだと思ってしまうけれど、私にとってはそもそもの世界がごく内側で完結している。その外側は私にとっては別世界であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

こんな私は「人脈」という言葉が苦手である。「人脈を」の後に来る言葉は、「広げる」とか「作る」とか能動態の表現が来る。より正確に言うと、「人脈」という言葉そのものが苦手なのではなく、人との繋がりを「作る」と表現する「人脈」という言葉の持つ傲慢さが苦手なのである。本来人との繋がりは相互的で偶発的なものであるから、そこに「作る」もへったくれもないと思うのだが、「人脈」という言葉にはただ自分が相手の人を利用しようという意識しか私には感じられない。そういう意識は虎の威を借る狐というか、私にはなんとなく居心地が悪い。

 

 

少し話が逸れた。

私の世界は出会った人のみで作られていくものだから、当然時間が経てば経つほど膨らんでいくだろう。今の私より未来の私の方が知っている人が多くなる。

でも、未来に私の世界にやってきてくれる人と今この瞬間すれ違っている可能性があるのだ。

 

最近仲良くなった人と、遠い昔にどこかの交差点ですれ違っていなかったという保証はない。そんなことを考えてどうするんだと思われるかもしれないが、この事実に私は時折深く揺さぶられるような気持ちになる。

 

私と出会った人の私と出会う前の写真。私の世界の中にその人がいなかった時代のその人の写真を見ると、今と昔の姿を見比べると同時に、私が知らない時代を生きているその人に想いを馳せては、なんだかこの人と過去に出会ってたりしないものかね、と思ったりするのだ。

 

別に出会ってたところで過去の私がそのことに気づくはずがないのだけれど、実は私とその人の世界が交わりかけた瞬間があったというのが、面白く思ってしまう。

 

同じ中学、高校だった人と今更仲良くなることもある。なぜ毎日すれ違っていた日々より今の方が仲良くなるのか考えてみると不思議だが、こうやって私は沢山の出会いを見逃し続けてきて、現状それでどうにかなっているのだ。見逃したくないのなら交差点ですれ違う一人一人に話しかける必要があるが、到底時間も労力も勇気も足りない。

 

だから、「人脈を作る」のが得意な人はその勇気が私より多くて、出会いの偶然を必然に変えるのが上手い人なのだと思う。交差点の真ん中で立ち続けていられるような度胸があるのだろう。私は交差点を歩き続けることしかできない。夜空の月を見て立ち止まって誰かにぶつかれる勇気もアンテナの高さもあれば、少しは違った人間になっていたのだろうか。

とりあえず今夜の月は素晴らしかった。秋が来ましたね。