ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

帰り道は茜空

「何故あなたが時計をチラッとみるたび泣きそうな気分になるの?」

 

松田聖子の代表曲「赤いスイートピー」の中の歌詞である。邦楽全体で考えても指折りの歌詞だと思う。この一節ほどに「帰る」ことの切なさと胸が張り裂けそうになる苦しさを表現したものはない。

 

四月の雨の日、駅のベンチで話している。二人以外の人影もないから、少し気まずくなっているときに「あなた」が時計をチラッと見たことを書いている。「あなた」は気が弱いけれど素敵な人として描かれており、おそらく会話も途切れ途切れ、ポツポツとピリオドを打つように続いているのだろう。桜の花びらが少しためらいながら舞っているように見えるくらい、ゆっくりと時間が流れていく中で「あなた」は、自分との会話の時間にもピリオドを打とうとしている。

雨の日だからあまり遅くまで付き合わせるわけにはいかないと主人公の女性を気遣っているのか、それとも電車の時間が迫っているだけなのかは分からないが、そんな「あなた」の行動に対して主人公は泣きそうな気持ちになっている。

 

自分と話している時間がつまらないのだろうか、一刻も早く帰りたいのだろうか、けれどもっと「あなた」と一緒にいたい、独占したい、そんな気持ちで泣きそうになっているのかもしれない。時計をチラッと見ていることが余計に自分を苦しくさせる。優しい「あなた」は口には出さずにずっと自分を気遣ってくれる。でも今だけは気を遣ってくれなくていい。もっとストレートに「あなた」と繋がっていたいし、心の底から出てくる言葉を交わしたい。そう思っているのかもしれない。

それでも、おそらく主人公も「このまま話していようよ」と言うことはできずに、「帰ろっか」に従ってしまうのだろう。お互い自分の気持ちを正直に話すことが出来ず、お互いの気持ちをわかっているのに離れなければならない、それが帰り道である。

 

二人で何かを話しているとき、電話をしているとき、隣で同じ景色を見ているとき、向かい合って相手の表情を見ているとき、背中合わせで黙っているとき、美味しいものを食べているとき、喧嘩をしているとき、そのどれもが、相手が自分に時間を割いてくれていることの現れであり、帰り道はそんな時間が終わりを告げ、また相手が自分の知らない時間を過ごし始める合図である。それはとても苦しいものだ。

 

 

私の通っていた中学校の周りは坂が多くて上り下りを繰り返しながら家まで帰っていた。上り坂の向こうに見える空がとても綺麗だったのが目に焼き付いている。家が近い小学校からの仲の友達とよくその道を歩いていた。彼はとてもユニークな発想が得意な人で、彼の奇抜な言葉にいつもツッコミを入れる漫才みたいなことをよくしていた。誰が見てもナイスコンビだと言いそうな、そんな仲である。

 

そんな私と友達が大きな喧嘩をした。彼がしてきた悪ふざけに我慢ならなかった私が、彼の大切な荷物を帰り道の途中で置き去りにして、その日から何となく気まずくなって学校でも口をきかない状態が数ヶ月続いた。

彼といつも一緒に帰っていた道を、彼と歩かなくなった。ちょうど夏も終わり始め、風の隙間に秋が流れているアスファルトの上、大きすぎる存在がいなくなった。

今みたいに携帯を持っていなかったから、彼と接触する手段は直接会うことしかなかった。でも、直接話しかけるなんてとても出来ないから何回も手紙を書いてはくしゃくしゃにして、ゴミ箱に投げた。彼との仲を取り戻すのにどうすればいいのか分からず、部屋で頭を抱える毎日。

 

そんなある日、別の友人と部活帰りに帰ろうとしていたときに偶然彼も一緒になった。その友人と彼は同じ部活だったことを忘れていた。

気が気じゃない状態で歩いていくうちに、やがて方向の違うその友人と別れることになった。私と彼が二人きりで帰ることになる。どうしようと思うと同時に、これ以上のチャンスはないとも思った。

 

けれども数ヶ月ぶりの帰り道、何を話せばいいか分からずに押し黙っていると、彼がアスファルトの道の上に転がっている石を蹴り飛ばした。そして「夏ですね」と言った。12月に。彼の数ヶ月ぶりのボケは私の心を軽くさせるのには十分で、私は前みたいなツッコミを入れてやった。そこからはもういつもの俺たちだった。

 

あっという間に彼の住むアパートの前に辿り着いた。彼が階段に足を運ぼうとしたその時に、私は数ヶ月前に自分がしたことを謝った。彼の大切な荷物を道の上に投げ捨てるなんて酷いことをして申し訳なかったと。

「うん、もういいよ」と彼は少し照れ臭そうに笑いながら階段を上っていった。だんだんと小さくなっていくその後ろ姿をしばらく見つめた後に、私は自分のアパートに帰ろうと振り返ったとき、夕陽がアパートに溶けるように沈んでいて、空が夏の花火の残りが散らばっているみたいに綺麗だった。私の小さな勇気が導火線を伝って大きく空に燃えたような、忘れられない帰り道だった。

 

 

そして数年が経った今、私と彼の帰り道はバラバラになった。もう夕暮れの道ではなく完全に夜を迎えた道を、いろんな人と歩くことの方が圧倒的に多くなった。そんな今でもたまに、とても綺麗な空へと伸びる道を見るたびに、大切な存在が戻ってきたあの日の帰り道を思い出す。帰り道は別れの合図だけれど、また明日からはいつものように彼と話すことができる幸せを感じながら振り向いた帰り道は、寂しくはなかった。強かに燃えている太陽が私をスポットライトみたいに照らす。この瞬間だけは世界で私が主役になったみたいだ。

中学時代のほんの小さな出来事だけど、私にとっては学校が全ての世界だったし、彼が私の生活に戻ってきたときは、本当に世界の半分を取り戻したような気分だったのだ。

 

 

大切な人との時間は、私にとって世界の全てだし、どれだけ一緒にいたいと思っていても訪れる別れの合図の帰り道は、やっぱりとても苦しいものに変わりはない。

 

それでも、帰り道が赤く染まっているとき、帰り道の先に続いている、また大切な人と出会える明日が綺麗に燃えているとき、泣きそうな気分はもう少し先延ばしにできるかもしれない。「赤いスイートピー」の「あなた」は、また明日も無事に会うために、今日の時間にピリオドを打ったのだと、私はそう思いたい。新しい文を始めるためには、長く続いた文に一度ピリオドを打たないといけないことが分かっているから。そうして打たれたピリオドが最後のものになるかなんて今は考えたくないし、考えなくて済んでいる時間ができるだけ先に続いていきますように。

「また明日」「またいつか」私達だけの文を紡いでいくための合図、帰り道は茜空。

 

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