たった一度のにらめっこ
京葉線がまた止まった。
よくある話なのである。東京から葛西臨海公園駅、舞浜など錚々たるメンバーを網羅する京葉線は東京湾岸を走り続けるため、強風によってすぐにダイヤが乱れ狂う。風が吹けば京葉線が止まる。しかもここら辺を走っている電車は他にないため、京葉線が狂うと詰む。つむつむ。何百人の帰宅が危機に晒されることもある恐ろしい電車なのである。
ある日私は西船橋から京葉線に飛び乗った。順調な滑り出しだったが安堵も束の間、もうすぐ市川塩浜に着くぞって時に電車が止まった。ああ、またか。もはや乗客の間にも動揺している様子は見られず、私の隣ではサラリーマン風の男性が英字で書かれたスマートフォンを厚い眼鏡越しに凝視していた。止まっていることに気づいてないのかというくらいに。
今回の止まった理由はなんだ。多分、風。しかし頭上で響きだしたアナウンスは「緊急停止ボタンが押されたため」と告げていた。これもよくある理由。誰かがおにぎりでも線路に落としたのだろうか。おにぎり一つで俺の生死が決まる。遅刻したくないマンにとって遅延は死。鹿さんが電車に死に物狂いの突進をかましたなら諦めもつくのであるが、おにぎりごときに俺のポリシーを崩されてたまるか。
なんの見所もない車窓からの景色が貼りついた車内の微妙な空気の中で、どうしたもんかなあと焦燥感に駆られていたその時、前に立つ女性が抱っこしている赤ちゃんと目が合った。トレンディドラマなら間違いなく主題歌が流れ出すような運命的な瞬間に感じた。
皆さんも経験があると思うが、赤ちゃんという生き物は一度目が合った人間のことをこれでもかというくらい見つめてくる。例に漏れず私のことも新種の生き物を見つけたかのような面持ちで見つめてくる。電車の停止という異常事態などつゆ知らず、彼(女)は電車の中に自分の世界を見ている。
先ほどのサラリーマンが英字サイトではなく俺を凝視してきたら車窓を破壊して命からがら脱出を試みるが、赤ちゃんに見つめられる分には特に変な思いはしない。むしろ焦燥感を抑えてくれる癒しにすらなった。
「数分の遅刻に何を焦っていたんだろう。俺もこの赤ちゃんのようにゆったりと生きていきたい」
そう思うとこの見知らぬ赤ちゃんのことがとても愛おしくなった。しかしこのまま見つめ合っているのも違和感があると考えた私は、突然表情筋を崩壊させた。にらめっこのはじまりである。
赤ちゃんを前にすると変顔をするという慣習は全時代的なものである。偶然にもこの赤ちゃん以外の乗客は私に背を向ける形で立っていたため、私と赤ちゃんしか知らない秘密のにらめっこである。
しかし生まれてこの方、にらめっこというものがとても弱い。全てを捨て去ったような変顔で迫られたら勿論笑ってしまうし、にらめっこの原則を無視して真顔で来られても笑ってしまう。八方塞がりなのである。
この赤ちゃんは案の定後者の手段を取った。私が七色の表情を見せている間も微動だにしない。視線も表情も崩さず、まるで私の変顔を品定めしているかのようにじっと見つめてくる。
これは笑ってしまう。自滅しそう。
停まっている電車の中で突如吹き出す男がいたらそれこそ緊急停止ボタンを押されてしまう。私が今まで積み上げてきた社会的地位は、赤ちゃんとのにらめっこで崩れ去ってしまう。
それを危惧した私は自ら目を逸らしてしまった。実質白旗を上げたものである。にらめっこで目を逸らすなんて、あっち向いてホイで微動だにしないのと同じ。あっち向かないホイは、にらまないっこである。?
さて、赤ちゃんとの勝負で敗北を味わっていたら電車が動き出した。何十分にも感じた停車時間を経て、ようやく電車は市川塩浜に辿り着いた。
結局緊急停止ボタンの理由は分からずじまいだったが、それを上回る緊急事態が発生した。目の前の赤ちゃんが泣きそう。突然動き出した電車にビックリしたのか、泣きそうな顔をしている。
今こそがにらめっこの出番なのではないか?
赤ちゃんが声を上げて泣き出したら抱きかかえているお母さんがきっと気付く。その前に私が彼(女)の慟哭を未然に防げば、影のヒーローである。かっこいいじゃないか。
赤ちゃんとのにらめっこ、第2回戦が始まった。
このにらめっこには勝たなければならない。しかし赤ちゃん、全く困り顔をやめない。
どんなに面白い顔をしても、泣きそうな顔が変わらないどころかむしろ悪化している。目の前で表情がめまぐるしく変わる人間の存在に怯えているのかもしれない。
そしてついに泣き出してしまった。案の定お母さんは気付く。一生懸命あやしているお母さんの後ろで、戦犯とも言うべき私は自責の念に駆られていた。
これ、俺が相手の変顔に弱いというより、俺の変顔が弱いんじゃないか。真の敗北を味わった気がする。
そして赤ちゃんとお母さん、連れの女性は舞浜駅で降りていった。ディズニーランドにでも行くのだろうか。俺はミッキーになれなかった。
電車内で偶然出会った我々の、一期一会のにらめっこは忘れられないものとなった。拭い去れぬ敗北感を抱いたまま、私は新木場駅で京葉線を後にした。