ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

望郷

「故郷」というものが私にはない。

千葉で生まれ千葉で育ち今も千葉に住んでいるので、生まれ育った地を離れたことは一度もない。地元の友達にはすぐに会える。

大学が東京にあるから東京を動くことも多くなったが、それでも千葉が私のルーツだと言えるし、東京に15分で行ける今の環境に不満はなく海外居住希望もないため、今後も恐らく千葉を離れることはないだろう。

私が高校時代まで接してきた「友達」はほとんどが千葉の人である。小中高と公立学校に通ってきたので当たり前だが、大学に入って急に多種多様な出身の人と関わるようになった。特に出会った当初は、まだ方言が抜けてない人もいて、すごく羨ましかった。

そう、羨ましかったのだ。

 

自分にも方言が欲しかったとたまに思う。方言があるということは「故郷」があるということである。私には故郷がない。

どうでもいいことだが、私はたまに香川出身だと詐称することがある。くだらない嘘である。祖父母が香川に住んでいて両親も香川出身なので、なんだか自分も香川の人間なのではないかと思うというだけのことだ。

香川県小豆島に帰ると、実際にそこで暮らした経験はないはずなのに何故だか懐かしくなる。あの島の港の喧騒、潮の香り、蝉の鳴き声、曲がりくねった道、太陽に光るオリーブ園、家の近くの醤油工場の匂い、すべてが私の望郷の念を募らせる。そこに住む祖父母や従姉妹に会うと、時計が巻き戻されたような、長い間閉まっていた箱を取り出して開けたような、不思議な感覚を覚えることが最近増えた。

観光地としての注目を集め始めた小豆島の景色は、帰るたびにちょっとずつ変わってきている。生活の空間だった小豆島が少しずつ観光客を意識した空間へと変わっていくのを感じている。

 

この場所に来るたびに、故郷とはこういうものなのだろうなと想像する。

小説や映画で出てくるようなシーン。帰郷した主人公が変わり果てた町の景色を仰ぎながら呆然とする。幼少期に遊んでいた公園や空き地や川沿いにはお決まりのように建物が建っている。20年ぶりに会った友人と酒を飲み交わしながら、また別の友人の近況を聞く。所帯を持った者、第一線で活躍する者、命を落とした者、消息不明な者。繰り返される廃校、市町村合併。止まらぬ人口減少。斜陽と言われても仕方ない現状。

こういったシーンには今ひとつ実感を持てずにいた。自分の生まれ育った場所には毎日帰ってきているから、ビルが急に建ったり人口がドサっと減ったり急に親の白髪が増えたりすることはないから、毎日少しずつ変わっていく景色に気づくことはあまりない。

 

しかし、先日初めて故郷を実感した瞬間があった。中学の同窓会の連絡が来たときである。私は柄にもなくクラスの代表を務めていたため、同窓会の出欠管理を任されることになった。

面倒だなと思いながら一人一人に出欠の連絡をする。久しぶりにその人のLINEのアイコンを見てみると、すっかり中学時代とは違う顔つきや格好をしている旧クラスメートの姿が目に入る。

4,5年会っていないだけで、こんなにも変わっているのだ彼らは。もう職に就いている人もいるし、人生のパートナーを見つけた人もいるし、新たな命を授かった人もいる。

私の人生には当分先まで交わることのなさそうな出来事を、先に経験している彼らがすごく大人に見えたというか、違う世界を生きている人に見えた。

同じ教室で同じ向きを向きながら(授業中ずっと後ろを向いて喋っている奴もいたが)同じことを学んでいた私たちが、一人一人違う人生を、確かに一歩ずつ歩んでいるということに気づき、私たちが一緒に暮らしていたあの数年間の日々を故郷と呼べるのではないかと気づいた。

私たちが成人になる日、彼らの話を聞くのがとても楽しみである。できれば身の上話はそこそこにしといて、思い出話やあえてどうでもいいような話をしてみたい。今何をしているのかはスマホをいじればすぐに分かる時代だから、そこには決して書かれていないような、彼らが何を考えているのかを聞いてみたい。

 

これから先の人生、得るものより失うものの方が増えてくるだろう。脳の活動のピークはもう過ぎた。少しずつ私たちは大切なはずだったことを忘れていく。古くなった引き出しを開けるのは数年に一度の大切な人との再会だ。私はこの場所を離れることは恐らくないから、様々な人生を歩んでいる人々の故郷で、彼らの帰りを待つ側の人間になるだろう。

また会いましょう。

 

追記(2019.1.13.)

昨日、高校の同窓会があった。言いようもない安心感というか、独特の雰囲気がそこにはあって、一瞬で高校時代に戻った気分だった。ありがたいことに会いたい人には割と会えていたので、久しぶりというよりも、こんな改まった場でお洒落な格好をしながら喋るポジティブな違和感が楽しかった。

とても意外な人たちから、このブログを読んでいると言ってもらえて、本当に始めて良かったなって思った瞬間でした。幹事の皆さん、会ってくれた皆、本当にありがとう。大好きな母校です。

これから、時間が加速していって、「久しぶり」の間隔がどんどん空いていくのかもしれないけれど、それでも、できるだけ足掻き続けながら、若い大人であり続けたいな。