ノートの端っこ、ひこうき雲

ひと夏の思い出、には留まらせたくない。

会いたい人に会うにはあまりに夏が短すぎる

最高の夏にしようと決めた。

今年の上半期は親しい人を亡くすなど個人的に悲しい出来事が多く起きて精神的に疲弊していた。禍福は糾える縄の如し。今年の夏は人生最高の夏にしてやると決めて夏休みを迎え、数週間が過ぎた。自分史上最も予定を詰め込んだ。会いたい人に出来るだけ会うようにした。中学から高校、大学まで幅広く色々な人に会う予定を取り付けた。

そうして予定を埋めていたらいつのまにか夏休みがすべて埋まりそうになった。そして感じた、夏はあまりに短すぎると。

 

時間は、いつもちょっとだけ足りない。

もっと話していたいなあと思った瞬間に終わりの時間はやってくる。もうちょっとだけこの人と一緒に過ごしたいなあと思える人のことが私は好きなので当然なのであるが。大好きな人に会っているときは時間が加速しているというのは、物理法則を超えた周知の事実だと思っているが、いつもちょっとだけ会える時間が足りないことが、私たちの大切な人への好意、憧れ、尊敬の材料となっている。私の知らない時間をその人が過ごしているという事実に、くすぐられるような寂しさと愛しさを感じる。

人間、墓場にまで持っていくというような秘密が一つや二つはあるだろう。どれだけ近づいたように思えても急に私の知らない世界から突き放してくるような、そして急に私だけしか知らない世界に引き寄せてくるような人に私は魅力を感じてしまう。いわゆる「掴めない人が好き」というものである。

 

夏は、というかどの季節もそうだとは思うが、こうした掴めなさの連続が日々を紡いでいくもので、好きな人と飽き足りるまで一緒に居られる人なんていないのではないか。「ちょっとだけ時間が足りないや」の切なさで丁度いい。

 

そして、ちょっとだけ時間が足りないままその人は急にいなくなってしまう。空白の時間は重みを持って私たちの心にのしかかり、言いしれぬ寂しさと不安を感じさせる。急にいなくなって二度と会えないとなったら尚更だ。そのときになって、その人に伝えられなかったことや与えられなかったことの一つ一つを思い出していき、ますます心が翳っていくような気分になる。

 

この耐え難い事実に私たちが取りうる手段としては、日々を真摯に生きることしかない。どの瞬間が最後になっても、どこで思い出が切り取られたとしても、自分の感じる愛しさを注ぎ尽くすことしか方法はない。別れは避けられない。時間はいつもちょっとだけ足りない。それでもとりあえず今日は、今この瞬間は一緒にいられる。自分の言いたいことを伝える機会を私に与えてくれている。短すぎる誰かとの時間は、短すぎるからこそ真摯に生きられるのだと思うし、飽き足りてしまう日が先になればいいと思うし、永遠に来なければいいと思う。飽き足りた日が来ないまま別れの日が来たら、その人は自分の心の中で笑いながら生き続けているはずだ。

 

伝えられなかったこと、聞けなかったこと、わからなかったこと、話せなかったことを出来るだけ忘れないまま生きていきたい。もう自分の心の中にしか生きていない人に向けて、足りなかった時間を少しずつ取り戻していきたい。

 

会いたい人に会うにはあまりに夏が短すぎる。なんて最高なことなんだ。